「お前はどこを向いて政治をやっているんだ。『オレは総理になる』などとヌカして何になるッ。政治とは生活だ。国民の痛みが分かるか。それに自分は何ができるか。そこからやり直しだ」
田中角栄は鼻を空に向けてそっくり返っている田中派若手議員を、こう一喝したことがある。
「田中政治」の原点は、無名時代の30代の約10年にあった。住宅、鉄道、道路など、荒廃した戦後の立て直しに全力を傾注した。初当選後、初めての衆院本会議での演説で、「国民に住宅も与えられないで何が政治か」と熱弁を振るってもいる。結果、自ら公営住宅法など33本という異例の議員立法を成立させ、この国の今日の繁栄の礎を築いたものだった。
そうした背景は、田中のなかの「人間には上も下もあるものか」という強烈な「平等意識」ということであった。ために、ぬるい政治家生活を送っている者を叱咤(しった)し、政治家の質の向上に目を光らせていた。国難への対応は、まず「有能な政治家の育成だ」ということでもあった。
なるほど、田中は「人材育成の名手」でもあった。田中派の流れをくむ勢力から、竹下登、細川護熙、羽田孜、橋本龍太郎、小渕恵三、鳩山由紀夫らの首相を誕生させ、梶山静六、野中広務、小沢一郎ら政界第一線で働いた多士済々を輩出させている。いずれも田中の叱咤、薫陶を受けて台頭した人物だったのである。誰もが成し得なかったことであった。