沖縄県は15日、本土復帰から50年を迎えました。沖縄と東京をつないで記念式典も開かれました。1945年の沖縄戦終結以降、沖縄は27年にわたり米国の統治下に置かれました。日米両政府は71年6月に沖縄返還協定に調印し、翌年5月15日に復帰を果たしました。そこから50年が経過したわけです。
私は沖縄戦の悲劇を伝える創作落語「ニライカナイで逢いましょう~ひめゆり学徒隊秘抄録~」の公演を続けています。沖縄に対する想いが強く、沖縄の友人もたくさんいます。その一人から、15日に次のようなラインをもらいました。
「ここ2、3日、国家とは何かなと思ってしまったわけさ。唐の世、大和の世、アメリカの世、そしてまた大和の世。施政者が変わろうが、普遍的に変わらないのが沖縄の心。そう考えると、国家ってなんなんだろうかって思ってね…」
彼の言っていることに、私は寄り添いたい。私たちが理解しておくべきは、140年近く前まで沖縄は「琉球王国」という、まったく別の国だったということです。琉球王国は、日本と中国という2つの国に挟まれて、常に両国の影響を受けてきました。
そのなかで、琉球の人々は自国の立場を生かした交易を行い、文化・平和を基調とした外交戦略で長く独立を保ち、独特の琉球文化を育むことに成功していたのです。
しかし、薩摩藩の琉球占拠があり、明治4(1871)年の廃藩置県で鹿児島県の下に入りました。明治政府は翌5(72)年、琉球国王、尚泰を琉球藩王とし、琉球藩としました。さらに、同12(79)年、「琉球処分」によって沖縄県となりました。その後、昭和の時代へ入り、沖縄はアジアへの前線基地と変貌していきます。