ベルリンが陥落した1945年5月、米国も西欧も歓喜に震えた。皆、膨大な戦死者を悼みながら、生き残った喜びをかみしめ、平和な日常への回帰を望んだ。
ところが、東欧を席巻したソ連赤軍は武装を解除しなかった。巨大な戦車軍団の赤い影が、不気味に西欧を圧した。そして、突然、東ドイツに位置した西ベルリンが、ソ連軍によって封鎖された。冷戦の始まりである。
米国は焦った。大量の戦術核兵器がドイツに持ち込まれた。西ドイツのコンラート・アデナウアー首相は独断即決で核の持ち込みを認めた。ピレネー山脈のフランス西側国境まで赤軍が蹂躙(じゅうりん)する恐れがあったからである。巨大な戦車軍団の進軍を止めるには核兵器しかなかった。
あとは戦略核による大量報復の恫喝(どうかつ)である。これに対し、ソ連情報組織は直ちに核兵器製造技術を盗み出し、あっという間に核兵器を開発した。そして、スプートニク人工衛星の打ち上げは、米国を恐怖させた。「米本土は、大西洋と太平洋という大洋に守られている」という安全保障神話が砕かれたからである。核を搭載した大陸間弾道弾は、北極海越しに、数十分で米国を廃虚にできる。
核の恐怖におびえた米ソ両国は、ゆっくりと相互核抑止、信頼醸成、相互査察、軍備管理軍縮に向かい始める。