NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」後半で、北条義時(小栗旬)ら鎌倉勢の強敵となるのが、後鳥羽上皇(尾上松也)だ。思えば、この上皇も波乱の人生をたどったといえる。
高倉天皇の第4皇子として生まれ、寿永2(1183)年、平氏が三種の神器を持ち出して安徳天皇とともに都落ちしたため、神器のないまま即位。当初は祖父の後白河法皇(西田敏行)が院政を行い、建久3(1192)年、法皇没後も九条兼家や源通親らに実権を握られた。そこで18歳のときに土御門天皇に譲位して院政を開始。通親の死後、独裁を始めた。多数の荘園からの財力で鳥羽や宇治に離宮を造営、熊野に28回も参詣するなど権威をアピール。歌人としても優れた文武両道の人物だった。
3代将軍の源実朝(柿澤勇人)は和歌に傾倒。妻も後鳥羽上皇に縁のある娘で、上皇はじわじわと鎌倉に影響力を及ぼす。この辺りはさすが「日本一の大天狗」といわれた策謀家、後白河法皇の孫という感じだが、実朝は跡取りのないままに鶴岡八幡宮で暗殺されてしまう。
その後、かねての約束通り、皇子を将軍に迎えたいと鎌倉から要請されると、上皇は拒否。承久3(1221)年、ついに幕府打倒を目指して挙兵する。