作曲家の中村八大さんが61歳で亡くなって、今年で30年になる。
1931年、中国の青島で生まれた八大さんは子供の頃からピアノをたしなみ、聴いた曲は暗譜してすぐに弾いてみせる才能があった。芸大に進む道もあったが、制約の多い音楽教育を嫌い、50年に早稲田大学に進む。
大学では、学費と生活費を稼ぐためにジャズ・コンボでピアノを弾くアルバイトをしていたが、51年に先輩である渡辺晋とジャズバンド、シックス・ジョーズを結成。
ところが、2人の音楽観はまるで違った。八大さんは、渡辺さんの演奏に対しての不勉強ぶりがどうにも気に入らず、言い争うこともしばしばあったそうだ。
僕は、最初に渡辺グループの会社に入ったこともあり、70年後半には渡辺社長自身から、このあたりのいきさつを聞いたことがある。
「確かにプレーのほうはうまくはなかったが、ショーマンシップというか、俺がお客さんの顔を見ながらニコッと笑うと結構受けたんだよ。お客さんに喜んでもらうことが大切なんだよ」
そう語る渡辺社長は、日本の戦後音楽業界のイノベーションに大きく貢献された経営者となったのもうなずける。