2~3本に出演し、目標金額を稼いだら辞める、という女性は、昔から多くいました。
1989~90年初期のAV黄金時代の有名女優でいえば、樹まり子様もそうです。
AV引退後の90年から、当時在籍していた男性週刊誌でAV女優インタビュー連載のホステス役を務めてもらいました。その担当記者をしていた関係で、よく裏話を本人から聞きました。
3本だけ青木さえ子の芸名で出演。それで引退するつもりが、業界内で「すごいコがいる」と話題になり、次々とオファーが舞い込み1年で約50作品に出演します。
理由を聞くと「お願いされると断れない」性格だそう。
92年に樹マリ子の芸名で一時復帰。当時、経営不振に陥っていたA社から限定(本人的には5本限定のつもり)で復活します。
当時、A社のK社長に「必死でかき集めた」というギャラの総額を聞きましたが、おおっ! と驚愕(きょうがく)しました。
その起死回生作品が爆売れし、A社は経営を立て直します。K社長は真顔で「倒産しないで済んだ。樹まり子には足を向けて寝られない」と。
他メーカーでも作品をリリースし、当時、AV不況といわれていた業界はにわかに活気づきました。
今後、業界を救う女神女優は生まれるのでしょうか。難しいような気がするのです。 (永瀬白虎)