デフレ脱却のための金融緩和政策については、かつて日銀内にも否定する声が強くあった。ここにきて「円安の副作用」を批判する声もあるが、こうした反対論は筋が通っているのか。
かつて日銀内には、いわゆる「日銀理論」があった。これは、1990年代前半の「岩田・翁論争」で明らかになったものだ。当時学者で後に日銀副総裁になった岩田規久男氏と、当時日銀官僚だった翁邦雄氏の間で行われた。
岩田氏はマネーサプライ(通貨の供給量)の管理は可能としたのに対し、翁氏は「できない」と主張した。論争は、経済学者の植田和男氏が「短期では難しいが長期では可能」といい、一応収まった。
2000年代に入ると、日銀はマネタリーベース(中央銀行が供給する通貨量)の量的緩和政策を採用し、リーマン・ショック以降は世界の中央銀行でも量的緩和政策を導入したので、基本的には岩田氏の主張の通りだった。
日銀は白川方明(まさあき)総裁体制で量的緩和を否定していたが、黒田東彦(はるひこ)総裁体制になって再び量的緩和政策を実施することとなった。そもそも日銀理論は、金利は操作できるが量は操作できないというが、量と金利は裏腹という経済理論から見れば奇妙奇天烈なものだった。