江戸時代の教育というと、寛政9(1797)年に設置された幕府直轄の「昌平坂学問所」をはじめ、幕末には全国で約250の藩校があった。明治維新時に版籍奉還した大名が約270であったので、ほとんどすべての藩に藩校があったということになる。このほかに私塾もある。
幕府が教育熱心になるのは、将軍、徳川綱吉の頃からである。綱吉は、自ら幕臣・大名たちに論語を講ずるなど学問を重視し、それまでの戦国の殺伐とした武断的な武家社会の体質を文治主義的な体質に変えたのである。
江戸後期の文化14(1817)年から、昌平坂学問所では、幕臣子弟が一定の年齢になると素読吟味(学力試験)が行われた。これは武家の教育であるが、庶民の教育はどうであったろうか。幕末日本を訪れた多くの欧米人は、江戸日本の高い教育水準について記録を残している。
英国の初代駐日公使、ラザフォード・オールコックの著書『大君の都』には、「日本では教育はおそらく、ヨーロッパの大半の国々が自慢できる以上に、よくいきわたっている」とある。