【経済快説】「会社のため」不正の心理と個人の責任 日産、神戸製鋼…防げなかった理由

データ改ざん問題で謝罪する神戸製鋼所の川崎博也・会長兼社長

 日産自動車は自動車の走行試験に絡んで、神戸製鋼は同社が作ったアルミニウム材の品質検査に関して、いずれも広範囲で多くの社員が関わる不正が行われていた。東芝の不正経理も同根の問題だが、日本の「ものづくり」を代表するような大手メーカーで不正行為が報じられている。

 わが国の経済界では、バブルに踊り、その崩壊過程で各種の不正に手を染めた金融機関が一段格下に見られる風潮があり、経済団体のトップなどはメーカーの現・元経営者が就任するのが通例だった。

 しかし、ものづくり企業もバブル前後の金融機関と同じくらいいい加減だったことが、今回明らかになった。

 これらの不祥事の原因は何かと詮索する前に、内外を問わず、また業種を問わず、人間および人間が作る会社は、自分たちの利益のために不正を働く可能性が等しくあるということを確認しておきたい。海外に目を転じても、米国でもエンロンやワールドコムのような大規模な会計不正があったし、一見まじめそうなドイツでも同国を代表する製造業企業のフォルクスワーゲンは、検査をごまかすためにわざわざソフトウエアを作るほどの「悪いまじめさ」を発揮した。

 今回のような不正がなぜ起こり、これらをなぜ防げなかったのか、考えておく必要がある。

 最大の問題として、個人の責任が会社の陰に隠れてしまい、「会社のため」という名目があると、個人が割合簡単に不正に手を染める心理があったのではないか。

 個人にだけ責任を負わせると気の毒な面もあるが、不正が露見すると逮捕され有罪になって収監されて失職するという条件があれば、個々の社員は不正に手を染めにくかったはずだ。

 「国のため」なら人殺しもできる戦争が典型だが、人は自分のためではなく組織のためという理由があれば、相当の悪事が平気でできる。

 「業績への過大なプレッシャーが原因だった」という報道が少なくない。経営者の責任を問いたいためだろうか。経営者の引責は当然だが、プレッシャーで担当者個人を免責するのは不適切だ。

 また、各社の監督官庁も、基準を作っておいてこの順守を確認する態勢と熱意を欠いていた。会社だけでなく、官僚にも現場の担当者とトップの個人的責任をもっと強く問う仕組みがないと、無責任のコストが安すぎる。

 それにしても、製品の検査が不十分だったとしても、それで起こったトラブルが報じられていない。賞味期限・消費期限が切れた食品を食べてもおおむね大丈夫であるような過剰に厳しい品質基準があって、関係者はこれを知っていてやり過ごしていたのかもしれない。それで許される問題ではないが、興味深い。(経済評論家・山崎元)