【秘録 今明かす「あの時」】山一証券の破綻により“しんがり”引き受けたサムライたち 無給、休み返上で清算業務

山一証券の自主廃業発表後、支店には長蛇の列ができた=1997年11月25日、東京都内

★山一証券自主廃業から20年(中)

 歴史に残る山一証券の破綻の裏には、元社員一人ひとりの物語があった。組織の命脈が尽きようとする中、破綻原因の追及や清算業務といった後始末を引き受けた「サムライ」たちの苦闘もその一つだ。

 その戦いは2013年、『しんがり 山一証券 最後の12人』(講談社)というタイトルで出版された。著者はノンフィクション作家の清武英利(67)。1997年の山一自主廃業当時、読売新聞東京本社の社会部で「経済事件班」の担当デスクとして歴史を見つめた。

 「本当は経済部の事案なんですが、部間を超えた問題でした。全体像を描きたいと思い、破綻の翌年に三十数回、社会面で企画を連載しました」

 山一には特別な思い入れがあった。「記者として見届けたいという気持ちや責任感を覚えていました。人生の決算時期になってくると、書き残したことは最後までフォローをしなければならないという気持ちです」

 読売巨人軍球団代表兼GMを2011年11月に解任されたとき、すでに60歳を超えていた。

 12年春ごろ、「そういえば何をやっているのかな」と連絡を取ったのが、元山一常務で社内調査委員会委員長を務めた嘉本(かもと)隆正だった。

 委員会が作成した「社内調査報告書 -いわゆる簿外債務を中心として-」では、山一が簿外債務を膨らませ、破綻していく過程が実名で詳述されていた。スクープ記者として知られた清武をして、「衝撃だった」と評する内容だった。

 その報告書は、嘉本らが3カ月無給のうえ、休みを返上して作成された。清武は当人に会い、その経緯を初めて知ったという。

 「知った気になっていましたが、それを打ち破ってくれました。話を聞いていくうちに『すごいことだったんだな』と。聞けば聞くほど面白いという感じでした」

 嘉本だけでなく、清算業務の責任者だった菊野晋次らとも何度も会った。「本が売れるとか売れないとかみじんも考えなかった。この人たちの話を活字にして残したいという気持ちでいっぱいでした」。『しんがり~』は反響を呼び、テレビドラマ化もされた。

 そして、破綻から20年を迎えた今年11月、清武は『空あかり 山一証券“しんがり”百人の言葉』(講談社)を上梓した。前著では描ききれなかった女性社員や元山一社員の妻ら102人の物語が収録されている。

 102人の中には証券会社や銀行に転職した人もいれば、俳優や造園業、居酒屋経営などまったく別業種に転じた人もいる。それぞれに、それぞれの人生があった。

 清武は、元山一社員の20年をこう総括した。

 「大半の人は本来ならもっと豊かな暮らしをしていたでしょう。なんとか家だけは確保し、今は年金で暮らしている人が大半です。ほかの会社に勤めていたら、別の暮らしもあったりしたのだろうけれど、満足している人が多い。彼らの言葉には重みがある。心に染みるものがあります」=敬称略(森本昌彦)