【ぴいぷる】あの「突っ張り棒」さらなる進化へ 新聞記者から決意の転身、35歳3代目社長・竹内香予子さん

竹内香予子社長

 全国のほとんどの家庭にある「突っ張り棒」。隙間を仕切って棚を作ったり、家具や冷蔵庫などを固定したりする防災用品としても注目されている。この突っ張り棒を日本で初めて製造販売し、一般に広めた平安伸銅工業(大阪市西区)の3代目社長だ。

 従来の突っ張り棒の特徴を生かし新商品開発でも話題を集める。部屋になじむデザインとカラーで空間に一本の線を描くようなおしゃれ突っ張り棒「ドローアライン」や、市販の木材と組み合わせて、壁や床を傷つけることなく女性でも簡単に柱や棚を作ることができる組み立てキット「ラブリコ」など、新しい生活スタイルを提案する商品を販売している。

 「まさか家業を継ぐなんて思っていませんでした。子供のころから医師でもある母親から『自分でも仕事を持ち、経済的に自立することで、自分や家族が幸せになる』と教えられ、何かの分野で専門性を高められるような仕事に就こうと思っていました」

 大学卒業後、選んだ職業は新聞記者だった。高校の課題で行った曾祖母の戦争体験についてのインタビューでは、埋もれてしまいそうな貴重な体験を「誰かが聞き、文字に残す」ことの大切さとして実感した。大学在学中には、日中関係が悪化していた時期の中国に留学。反日デモにも遭遇し、厳しい現実を目の当たりにした。これらの体験が報道を目指すきっかけになった。

 2006年に産経新聞に入社し、滋賀県の大津支局に配属になった。丸3年、事件や事故、行政などを取材し、忙しい日々を過ごすうちに転機が訪れる。長年会社を率いていた父親が大病を患ったのだ。後継者は決まっていない。「少し会社を手伝ってくれないか」。両親から初めてこんな相談を受けた。

 「報道の仕事に誇りをもってやっていたので、家業を継ぐことは、自分にとって逃げになるのではないかとの思いがあり、抵抗がありました。2、3カ月はいろんな人に相談しました」

 ただ、自分が必要とされていると決断。「引き受けるからには中途半端なことはできません。責任ある立場で、会社を継ぐ覚悟を告げました。両親は最初は驚いた様子でしたが、喜んでくれました」

 会社に入り、父親を手伝いながら経営を学び始めた。黒字経営を続けていたが、売り上げは1995年の48億円をピークに下降線を描き、家業を継いだ2010年には14億円に落ちていた。

 「デフレで、質のよいものをいかに安く作ることが求められていた時代。そのことに全力を注ぐ時期が続いていました。例えると、マラソンランナーのような状態です。会社には無駄なものがないのですが、新商品開発には時間とコストがかかるため、無駄なものとされてきました」

 このまま続けても、会社は伸びないと感じ、改革を決意する。だが、驚いたことに、無駄を徹底して省いていたため、デザイナーという担当者さえいなかった。開発のエンジニアがパッケージを作成し、便利グッズを強調しすぎるため、結果的に古めかしいデザインに。仕入れ業者からも「平安さんのデザインはほんまに昭和やなあ」といわれる始末だった。

 商品こそ売れていたが、「お客さんが本当に欲しいものではないのではないか」と疑問を持つ。デザインの専門家に入ってもらい、改善を進めた。

 「新商品開発でも同じような状態でした。社内の公募で集まった案も従来の商品の改善に止まっていて、限界があった。アイデアを形に変えていくプロダクトデザイナーに来てもらった。具体的に商品ができて、機能性だけでなく生活になじむデザインがどういうものか分かるようになり、ドローアラインなどの商品につながりました」

 失敗もあった。前評判が良くてもまったく売れず、多くを廃棄したものもある。原因を突き詰めると、ユーザーの要望に真摯(しんし)に向き合わずに、メーカーの都合に偏っていたことが分かった。

 手探り状態でも諦めずにトライし続けた結果、業績は見事にV字回復していく。

 「祖父や父は『突っ張り棒』という当時、日本にはなかったものを便利商品として売り出し、新しい価値観を世の中に提供していました。私も努力を続けていきたいですね」

 ユーザーが求めるものに応え、さらにユーザーからの意見にはないような新しい価値を創造し、提供する。挑戦する3代目の視線の先には、いまこれしか映っていない。(ペン・小泉一敏 カメラ・須谷友郁)

 ■竹内香予子(たけうち・かよこ) 1982年7月28日、兵庫県生まれ。35歳。2006年、同志社大学を卒業して産経新聞社に入社。大津支局で記者として警察や行政などの取材に取り組む。当時社長の父親が病気をしたのを機に10年、家業の平安伸銅工業に入る。15年から社長。同社は1952年、大阪市で創業。金属の押し出し成形技術で、アルミサッシの量産を日本で初めて行った。75年にはアルミ事業から転換し、日用品として「突っ張り棒」を発売し、一般家庭に広めた。