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【ABS世代が「シニア」を変える】ディスコ、サーフィン… 若者世代が「遊び」覚えたワケ (1/2ページ)

 学生中心の若者カルチャーが広く普及したのは1970年代後半から80年代初頭です。ABS世代は、以前の世代では一部の人しか知らなかった「遊び」と「遊び方」を万人が覚え、その結果、「モノからコト(体験)」の消費を楽しいと感じる時代が確立していきました。

 78年に映画「サタデー・ナイト・フィーバー」が日本のみならず世界中で大ヒット。それまでは東京でも一部のマニアしか行かなかったディスコが大衆化しました。私(鈴木)は79年に岐阜から上京しましたが、最初に行ったディスコは新宿・歌舞伎町の東亜会館にあった「カンタベリーハウス」です。80年には六本木の「キサナドゥ」に行きました。当時、新宿東亜会館と六本木スクエアビルは全館がほぼディスコで、若者たちで連日大にぎわいでした。

 一方、75年に創刊した雑誌「JJ」で女子大生はトラッドを基本に、エルメス、グッチ、セリーヌなどの海外高級ブランドを身に付ける「ニュートラファッション」を覚えました。76年創刊の雑誌「POPEYE」は米西海岸カルチャーを発信し、サーフィンブームが起きます。

 おしゃれな男の子たちが「シティボーイ」と言われだしたのもこの頃。夏はサーフィン、冬はスキー、街中の昼間はテニス、そして夜はコンパにディスコと、東京の大学生を中心とした当時の若者はよく遊んでいました。

 六本木にはキサナドゥをはじめとして「サーファーディスコ」と呼ばれる業態のお店が多く存在していました。店内にはファッションだけの「陸(おか)サーファー」も交じっていましたが、どの男の子たちも爽やかに日焼けしていました。女の子のほうはニュートラやサーファーファッションでカッコいい大人のオンナを演出。フクゾー、ミハマ、キタムラといった横浜元町のトラッドブランドを着こなす「ハマトラ」ファッションでテニスラケットを持ち、渋谷・公園通りなど散策していました。

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