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【大前研一 大前研一のニュース時評】「オムロン」立石義雄元社長が新型コロナで死去 共に事業再建、遊んだ思い出…素晴らしい人格者だった (1/2ページ)

 大手電子機器メーカー「オムロン」の立石義雄元社長が先月21日、新型コロナウイルスのため、京都市内の病院で亡くなった。80歳だった。

 私はオムロンの前身の「立石電機」がシャープやカシオとの電卓の過当競争と石油ショック、創業以来初の赤字に陥った1970年代半ば、創業者の立石一真さんに依頼されてコンサルタントの仕事をした。

 当時、私は30代前半。一真さんは70歳を超えていた。彼は著書「私の履歴書」に「孫ほどの奴がやってきて、250も小言を言われた」と書いているが、「これはどう思う?」と孫ほどの人間に鋭い質問を浴びせてきたので、こちらも必死になって答えた。

 その質問や対話の中から、多くのアイデアが出た。デビット決済やコンビニのクローズド・キャッシュレジスター(お金を入れたら釣りとレシートだけが出る)などヤマほどの特許も生まれた。

 私はコンサルティングの当初、赤字脱却のために「マネジメント・インプルーブメント・コミッティー」(MIC)という経営改革委員会の設置を提案し、一真さんに「そのプロジェクトチームには将来トップを担えるような優秀な若手を集めてほしい」と頼んだ。そのチームの委員長が三男の義雄さんだった。

 私たちは徹夜で議論を重ね、電卓事業からの撤退など事業の見直しや経営資源の再配分を決めた。経営改革、組織改革にも着手し、その結果、1年半後には黒字に復帰、その1年後には創業以来の最高収益を記録した。京都初の1000億円企業にもなった。

 義雄さんは1963年に入社、一真さんからも信頼され、長男の孝雄さんの後任として、87年に47歳の若さで社長に就任した。社長在任の16年の間に、社名変更やカンパニー制の導入など社内改革に尽力した。海外での売り上げを約4倍にし、駅の自動改札機や銀行の現金自動預払機(ATM)の普及にも貢献した。

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