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【ABS世代が「シニア」を変える】60歳を過ぎてチアダンスに挑戦 庄野真代のカッコよさ (1/2ページ)

 ABS世代への3大インパクトは、1970年代後半に創刊した雑誌「JJ」「POPEYE(ポパイ)」、そして米映画「サタデー・ナイト・フィーバー」です。私(鈴木)は、その頃から若者カルチャーが広がったと考えています。

 当時、邦楽は「ニューミュージック」が人気でした。そこで今回は、当時のニューミュージックの中心にいた歌手で、私と同じく南カリフォルニア大学のジェロントロジー修了生仲間でもある庄野真代さんにお話を聞きました。

 ニューミュージックは歌謡曲やフォークソングでも、ロックでもない、まさに新しい音楽で、ユーミン(松任谷由実)から広がりました。アーティストの多くはシンガーソングライターで、曲調にはどこか洋楽テイストがありました。

 真代さんもシンガーソングライターとして76年にデビュー。彼女の名前を一躍広めた楽曲が78年リリースの「飛んでイスタンブール」です。作曲は今年他界した筒美京平さん。筒美さんは「時代の空気感」を読み解く達人でした。

 当時は女性の社会進出の黎明期。「飛んで…」は、元気に羽ばたく「飛んでる女性」から発想したそうです。実際に海外旅行も普及し始めており、成田空港が78年に開港。こうした時代背景から、イスタンブールなどの憧れの海外都市や空港をテーマにした邦楽が当時はたくさんありました。

 また、ディスコカルチャーが拡大した78年ヒットの「マスカレード」は、ラテンのディスコサウンドをイメージさせます。筒美さんの楽曲は常に時代性を反映していました。まさに「歌は世につれ、世は歌につれ」でした。

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