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【ABS流 令和NEWバブルのすすめ】すべてが輝いていたバブル 予算がつけばクリエイターの仕事は変わる (2/2ページ)

 そんなバブル期には、ラッキーボーイやラッキーガールがあふれていました。僕もそんなひとりだったのでしょう。駆け出しの頃に、当時マスコミの寵児(ちょうじ)だった作家の田中康夫さんとポパイや週刊文春、いくつかの女性誌などで連載をご一緒させていただきました。おかげで、いろいろな雜誌や広告代理店からの仕事が舞い込むようになったのです。

 僕は数年でデザインオフィスを立ち上げ、伊勢丹の空間デザインや企業広告の企画・デザインの仕事などを手掛けました。広告代理店からは「期待してるよ。最高のデザインにしてね」といつも言われたものです。

 当時は「海ガメが泳いでるイタリアンができたからクライアントを呼ぼう」「撮影にライオンを使ったらどう?」「空気感が違うからパリで撮影してマキシムドパリで打ち上げよう」といった具合。クライアントサービスやクリエイティブにかけるお金はいとわない、とにかく最高に評価されるものを作るんだという雰囲気でした。

 もちろん、僕も一流のクリエイターを集め、寝る間も惜しんで、できる限りの仕事をしました。「24時間働けますか」と笑いながら。

 実際、当時はすべてが輝いていて、その中でとびっきり輝かないと目立たない時代。でも、良いものさえ作れば、おいしい仕事がどんどん舞い込んできました。

 多様化した令和の時代、誰もが注目するようなクリエイティブを創るのはなかなか難しいでしょう。しかし、再びバブルがやってきたら、「予算はあるから成功させて」と望まれて、クリエイターたちの眠れない日々がまた始まることでしょう。

 ■ABS世代 昭和30(1955)年から43(68)年生まれの、若者時代にバブルを謳歌した世代。

 ■サトウリッチマン 1958年生まれ。クリエイティブディレクター。イラストレーターとしてデビューし、広告や空間のデザインやマガジンデザイン、海外のスポーツブランドや車メーカーなど数多くのWebデザインを手掛けた。

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