記事詳細

【BOOK】世間の価値観に流されない核みたいなものを見つけた 藤沢周さん『世阿弥最後の花』 (2/3ページ)

 --冒頭は島に渡るまでが描かれます

 「能でいえば、能舞台の橋掛り。島に近づいたときは世阿弥も同じ思いだったはずです。それに都から流される身ですから悲しみもあった。しかし、その結界をまたいで佐渡に渡ったと同時にいろんな人物が絡んできます」

 「ここで世阿弥の中でスイッチが切り替わって、“悲劇の底で埋没して死ぬのだ”、という意識から、“いや違う、まことの花を、本当の今までの集大成の自分の花を咲かせる地なんだ”と思いが変わった。今で言えば、これまでは名プロデューサーで商業主義に乗っていろんなものに翻弄されてきたけれど、本当の自分自身の美を見つけた、ということじゃないでしょうか」

 --会社員で言えば、本社から支店に左遷されてその地で復活を遂げるようにも受け取れました

 「その思いもありました。地理的には鄙の地ですけど、佐渡の自然、佐渡の人々との間で、いろんなやりとりがあって、自分の足元を見つめて行ったはずです」

 --世阿弥を慕う海人の宿の子供・たつ丸に元雅への思いが重なります

 「親として元雅を厳しく育てたり、彼の作品への思いなどさまざまな気持ちが結晶化する形で少年・たつ丸が自然と出てきました」

 --今後は

 「もちろん現代物も書きますが、世阿弥を書いたことで、彼がそうであったように、自分自身の人の縁とか、死者に寄り添い、死者の声を聞き、真の幸せとは何かを問い、問いかける小説を書いていきたいと思っています」

 --ところで、テレビで書評番組の司会も務めていましたが、いまの文学をどう見てますか

 「いまは、若くて才能のある人がいっぱいいます。発表の媒体も多様化していて難しい時代ですが、昔いわれた“半径1メートルの物”を書いていくというのとは全然違う次元の小説・作家が出てきたな、という気がします」

関連ニュース