ソニーショックはこうして起きた!甘い認識に市場の洗礼

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2012.09.23


2003年5月、ソニーショック後の経営方針を説明する出井伸之会長(右)【拡大】

 1995年に6代目社長となり、「リ・ジェネレーション(第2創業)」、「デジタル・ドリーム・キッズ」を掲げて新生ソニーをスタートさせた出井伸之。当初は社内的にも刺激を与え、活性化の流れをつくっていった。就任3年後には早くも過去最高の業績をあげるまでに経営の成果を結実させた。株価も1万2290円と高みに上った。

 しかし、デジタル社会の進展のスピードに技術開発がついていけなかったのか、発表・発売する製品が、ソニー製品としてはイマイチで、出井が意図するAV&IT戦略はどこかで“空回り”を始める。そうこうしていた2003年4月に株式市場で「事件」が起きる。東証でソニー株が急落したのだ。

 4月24日、前3月期(02年4月−03年3月)の連結決算を発表。営業利益が1854億4000万円(前期比38%増)となったが、これが同社従来予想よりも1000億円も下回る結果となったのだ。しかもその内実が悪かった。年度最後の03年1−3月期が大幅な最終赤字だった。同時に発表した04年3月期の業績予想でも、前期比30%減の営業利益1300億円になるとの見通しを明らかにした。

 市場の投資家はたまったものではなかった。翌朝から大量の売りが殺到。売買が成立しない異常状態になり、結局、ストップ安の3220円。週明けの28日も大量の売りで再度ストップ安の2720円まで売り込まれた。

 投資家など市場関係者にとって「ソニー」という銘柄は特別な響きをもっていた。日本の成長を支えてきたハイテク企業のシンボルであり、国際的な高い技術力と競争力をもち、世界に広く認められた「超ブランド企業」との認識が強くあった。株式市場では「困ったときのソニー頼み」という格言があるほどだった。

 その超優良株が一斉に売り浴びせられた。狼狽売りもあった。ソニーがダメなら、あれもこれもと、電機株、ハイテク株、果ては銀行株まで売られ、市場は売り一色の様相となった。「ソニーショック」だった。

 当の出井はこれをどう受け止めたのか。「ひとつひとつの要因は、大きなミステイクだったとも、根本的な欠陥だったとも思わない。(中略)決算の数字の意味を正しく理解してもらえるような説明が不十分だったことと、決算の分析、対策立案をそのとき明瞭にできなかったため」(自著「迷いと決断」)と弁明している。

 いまやエレクトロニクス部門は国内売り上げの半分以下、あとは携帯電話、プレステ、金融部門などから収益があがっている。ソニーの実態は内外の人たちが想像する以上に大きく変わってきている。「そこを正確に理解してほしい。10年先を見てほしい」という。

 市場というのは、そんな悠長なものではないだろう。現実の数字と、そこから導き出される市場の予測は厳しい。「説明不足」などといっている方が負け。ソニーは市場論理・市場との対話に負けたのだ。グローバリズムが進むなかで日々強まる市場原理の“手荒い洗礼”を初めて受けたといえる。それはまた市場での「ソニー神話崩壊」の始まりでもあった。=敬称略(産経新聞編集委員 小林隆太郎)

 

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