元居酒屋店長の「昔取った杵柄」 還暦退職後お笑いで舞台復帰

2014.11.14


チャンス青木(右)とコンビを組み笑いをとる真木淳【拡大】

 いったんは好きな仕事に就いたものの、何らかの事情で普通の会社へ就職するということがある。お笑い芸人の真木淳さん(本名・橋本順一、77)は、子育てのために別の道へ進んだ。

 茨城県潮来市で生まれ育った。俳優を志し、劇団に所属してテレビや映画に出演。美空ひばりと共演したこともある。その後、漫才師として活躍していたが、これからというときに、離婚。1970年代後半のことだ。

 「2人の子供たちがお父さんに付いていくと言い出して。これは大変なことになった。子供たちが何とか一人前になるまではがんばらないといかん」と、コンビを解消。

 蔵元が経営する居酒屋「清龍」へ「ぶらっと飲みに行くと、昔世話になったオーナーにうちでやってみませんかといわれて、店長みたいな形で」就職。「清龍」は値段の安さが評判の店で、真木さんは豊島区池袋本店に勤務。「お客さんとトラブルがあると、私がまるくおさめる。そんな渉外係みたいなことをやってました。私がのんびりした話し方をするもんだから、お客さんが戦意を失っちゃうんですね」

 漫才はボケとツッコミに別れて芸を展開するが、真木さんはボケ。普段の話し方もゆっくりしたテンポで人当たりが柔らかく、ほんわかとした味がある。「清龍」には25年勤めた。オーナーが他界したのを機に60歳でリタイア。普通の会社で言えば定年になる年齢だった。芸能界に復帰するつもりはなかったが、漫才界の大御所「あした順子・ひろしの順子さんに『戻ってやりなよ』と復帰を勧められて」カムバック。

 浅草で鍛えた芸がある。「芸の引き出しを持ってますので」笑いは取れる自信があった。いまはチャンス青木とコンビを組み、『淳&チャンス』のコントで客を笑わせている。

 そのときの社会現象や流行を採り入れる努力は怠らない。「電車に乗っても面白そうな人がいるとじっと観察したり」役回りはボケだが、舞台を離れたら「ボケちゃいられない」。

 2人の子供も独立し、給料日には小遣いをくれる。舞台のギャラ以外に年金もある。「悠々自適ではないけど、晩酌ができる程度の収入はあります」。苦労して子供を育てたかいがありました。「そうですね」と、柔和な顔がクシャクシャになった。

 ■大宮知信(おおみや・とものぶ) ノンフィクション・ライター。1948年、茨城県生まれ。中学卒業後、東京下町のネジ販売会社に集団就職。ギター流し、週刊誌編集者など二十数回の転職を繰り返し、現在に至る。政治、経済、社会問題など幅広い分野で執筆。『平山郁夫の真実』(新講社)『死ぬのにいくらかかるか!』(祥伝社)など著書多数。

 

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