「東洋美人」というエキゾチックな名を持つ山口産の日本酒が、酒好きの間で人気化して久しい。「お酒は稲をくぐり抜けた水でありたい」をモットーに、厳しく王道を突き進んできた社長兼杜氏(とうじ)を務める澄川宜史氏の研鑽の賜物と言っていい。2013年の大水害で、廃業の危機に立ったが、不屈の精神で前に進む。日本酒業界の若きホープを直撃した。 (清丸惠三郎)
──澄川さんの酒蔵で造られている「東洋美人」は、日本酒ファンの間では入手困難と言われ、人気が高い
「ありがとうございます。ただ僕自身は当たり前のことをやってきただけ。ものづくりに身をおいている人間として、味と品質では妥協したくない。そういうことで欠点を一つ一つ丁寧に排除していった。(現在の評価は)それを積み重ねてきた結果だと思います」
──酒造りへの厳しい姿勢は「十四代」の高木(顕統・専務兼杜氏)さんに通じるとも聞きます
「大学3年の時に学外実習で高木酒造にお世話になった。高木さんの令名はすでに高かった。学生だった僕が見ていても、酒造りにも経営にも命を削って向き合っているのが見てとれた。(酒蔵を継ぐかどうかまだ迷いがあったが)その姿を見て僕がやることはこれだと気がついた」
「高木さんは僕に『われわれは王道を行こうな』とよく言われる。奇をてらわず、おいしさと品質両面で100%の酒を造ること、それが王道。目指しているのは、お米の丸み、甘み、旨みをもった日本人のDNAに響く日本酒づくり。僕の造る酒は『稲をくぐり抜けた水でありたい』と常々言っています」
──後を継いだとき、まだ蔵は小さかったとか
「生産量で300石(約5万4000リットル)ほど。ただ経営状態としては、家族が何とか食べていくくらいのことは可能でした。しかし、蔵が小さければ動くお金も小さいし、そこから見られる景色も限られます。もっと蔵を大きくして、それなりの世界が見られるようになりたいと思って戦い続けてきました」