定年後は「のんびり暮らしたい」という人が多いが、日本エストニア友好協会の会長、吉野忠彦さん(74)は悠々自適のリタイアメントライフとは無縁の生活を送っている。
「忙しくて体がいくつあっても足りない。のんびり昼寝をする時間もありません」
高校の西洋史の先生になりたかったが、元日本銀行理事で森鴎外の研究家でもある父(吉野俊彦)に反対され、東大卒業後、日本興業銀行(現・みずほ銀行)に入行。意に反する就職だったが「ドイツの大学へ留学させてもらえたし、好きなドイツで働くことができたので結果的によかった」。
海外勤務が長い。ルクセンブルクの現地法人の社長を務めたこともある。富士銀行との合併騒ぎがあったときに59歳で退職。その後、石川県金沢市に本社があるIT企業に勤めたが、2005年に辞めてフリーになり、09年に日本エストニア友好協会の会長に就任した。
興銀時代に欧州の銀行を視察したとき、ソ連から独立したばかりのエストニアを訪問。「復興のお手伝いをしようと、日本企業の進出などの支援をするようになった」のがきっかけで、エストニアとのさまざまな交流事業に携わってきた。
「こういう小さな国でも国連で1票持っている。もし日本が常任理事国入りを目指すのであれば、好かれて選んでもらわないといけない。だから民間交流が大事なんです」