会社勤めのときに取り組んだプロジェクトが不調に終わり、独立して再挑戦する。早期退職の「二毛作」には、そんな人が少なくない。大澤信一さん(60)がいまの仕事に就いたのは、サラリーマン時代に手がけた新規事業が日の目を見なかったのがきっかけだった。
宮城県仙台市出身。地元の大学を出て一時、父親が営む税理士事務所で働いていたが、簿記や原価計算が苦手で会計の仕事になじめず、国の政策や企業戦略の基礎研究、コンサルティングサービスを行うシンクタンク、日本総合研究所(日本総研)の研究員になった。
在職中に「花の鮮度を保つ流通システムを作って、新しい形のフラワービジネスを企業に提案した」が、バブル崩壊。経済界は新規事業どころではなくなり、花そのものが売れなくなってしまった。「でも、3年間このプロジェクトで地方をぐるぐる回っているうちに、日本の農業危機の本質が見えてきた」
自分の研究テーマを深く掘り下げ、改革プランを進めたいという思いが強くなり、55歳で退職し、農業コンサルタントとして活動を開始。2011年9月、「農業活性化研究所」を立ち上げ、住まいのある千葉県市川市に事務所を設けた。