名刺は名前だけで肩書がなかった。白い髪の毛、あごひげが威厳を漂わせる。東京・霞が関の喫茶店で、「なるべく身分を隠しているんです」と宮岡五百里(いおり)さん(71)。家庭裁判所の仕事をしていることを公言すると「うちの息子が離婚しそうなんだけど、話を聞いてやってくれない?」といった類いの相談が持ち込まれるからだ。
東京・赤坂生まれ。親の仕事の関係で九州・別府で幼少時代を過ごし、大学卒業後、神戸製鋼に入社。「鉄は国家なり」の時代に一貫して花形の営業畑を歩んできた。50代の半ばから10年間子会社のリース会社に転籍。ノンバンクの財務がメーンという最も苦手な部門だったが「郷に入れば郷に従えで、面白い仕事だと思いました」。
リタイア後、「これからどうしようというときに、女房が病気になり」1年間のブランクを経て、家裁の家事調停委員に応募。就任と同時期に妻が他界した。
家事調停委員は法律の知識より、社会的信用力が重視される。「もうけとか損とか業界のしがらみ、上司や部下に気を使うビジネスの世界から離れて、社会に貢献していることを実感できる仕事がしたい」というのが動機。報酬は「飲み代程度」で、生活を支えるための再就職という気持ちでは務まらない。