関東でも指折りの組織力を誇る暴力団の構成員だった坂原仁基さん(62)に、東京・上野の喫茶店で会った。両手で握手を求められた。いささか緊張ぎみの取材だったが、さわやかな感じの人なのでほっとした。
全国各地の「塀の中」で20年過ごし、8年前に札幌刑務所を出て社会復帰。
「犯罪を糧として生きていくような人間でした。いまは神様に新しい命をもらって第二の人生を歩んでいます」
埼玉県生まれ。2歳の時に母親が他界し、父親は東京へ出稼ぎに行って家には戻らず、東京都東村山市にある児童自立支援施設で思春期を過ごした。施設を出た後、IHI(旧・石川島播磨重工業)に溶接工として勤めたが8カ月で辞め、大手出版社の漫画誌の版下作りにも携わったが、これも8カ月で辞めた。以来、任侠(にんきょう)道の世界で40年生きてきた。
娑婆に出てから中国人の女性と結婚。「6回目の結婚です」と笑う。5年前、東村山市の栄光教会で、妻と一緒にクリスチャンの洗礼を受けた。
現在、兄弟分が社長をしている建築測量会社に籍を置き、建設現場で墨出し(位置出し)の技術者として働いている。「まともに働いたのは40年ぶりです」と苦笑い。
「妻は外国人だから、僕がちゃんと納税してないと永住権が取れない。それで測量会社の社長に相談をしたら、うちにおいでよということで墨出し屋を始めたわけです」