【秘録 今明かす「あの時」】肝臓がん進行し解禁、最後のセーリングでビール飲んだ裕次郎さん「やっぱり海は最高だね」

石原裕次郎さん

★番記者が明かす裕次郎伝説(下)

 石原プロは「石原(裕次郎)社長がオアフ島に5億円の別荘を購入」と公表した。豪華別荘はスポーツ紙が絶対にスクープしたいネタである。

 裕次郎さんが大病(1981年5月)して4年後の85年12月29日、私はスクープを狙って成田空港を立った。裕次郎さんはそれより数日前にハワイ入りしていて、まき子夫人、渡哲也さん、石原プロの仲川幸夫さん(当時芸能部長)らも同行していた。

 別荘の取材を申し込んでも、石原プロは「記者が現地(別荘)に来たら、社長はどう対応するかな」と曖昧な回答だった。年末の多忙で私は風邪で熱を出し、ホノルルのホテルの診療室でお尻にペニシリンの注射を打ってもらった。

 なんとか体調を戻し、30日(現地)の午後、オアフ島のダイヤモンドヘッドの裏側(カハラ地区)にある石原邸を訪ねた。

 2階建てのプールのある別荘は、大海原を一望できる絶好のポジションにあった。インターホンを押すと、裕次郎さん本人が出たので、「取材にきました。お願いします」と頼むと「遠路、ご苦労さんだったね」といって、快く門を開けてくれた。

 中にはまき子夫人と渡さんがいて、夫人がグアバの生ジュースを出してくれた。私は一眼レフを構え、プールサイドや湾をバックに裕次郎さんと渡さんのツーショットを撮影した。

 応接間に戻ると、おふたりの背後に紺碧(こんぺき)の大海原が広がり、すてきな「絵」になった。カメラを向けると、裕次郎さんは「フラッシュをたかないと風景はいいけど、人物は露出不足でダメだよ」とアドバイスしてくれた。

 その写真は私がいたスポーツ紙の、元旦号芸能面のトップを飾った。スクープ写真は裕次郎さんの「ご指導」によるものである。

 裕次郎さんは亡くなる前年の86年10月3日に最後のセーリングを楽しんでいるが、これもスクープに成功。情報をつかんだ私は、早朝6時からよく晴れた神奈川・葉山港で張り込んだ。

 やがて石原プロのスタッフの一人が現れ、裕次郎さんの友人のヨット「湘南魔火矢」に乗り込むと船外機操船で同県三浦市の諸磯に向かった。

 陸路、車でヨットを追いかけて諸磯で待機すると、20分後に裕次郎さんを乗せたキャデラックが到着。5人のクルーと一緒に裕次郎さんはヨットに乗り、滑るようにヨットは出航した。

 私は諸磯から移動電話で佐島ハーバーのモーターボートをチャーター。高速ボートはすぐに裕次郎艇に追いついたが、ヨットが船外機を上げて帆を張るまでは一定の距離を保った。

 「よし、ヨットの左舷に接近だ」。ボートで近づくと裕次郎さんは一瞬驚いたようだったが「なんだい、中野ちゃんか。そのボートのハーバーはどこだい」と海の男らしいあいさつ。そして立ち上がり、帽子を振ってくれた。

 「やっぱり海は最高だね。きょうはすっかり気分が晴れたよ」。裕次郎さんの機嫌は最高。久々のセーリングの楽しさを、なんと缶ビールを飲みながら話してくれたのだ。肝臓がんが進行していた裕次郎さんは、すでに禁酒を破っていたのである。=おわり(中野信行)