【人たらしの極意】西部邁さんを悼む 「君と僕は時代が時代なら、島流しになっていたはずだな」

東京・浅草の「どぜう 飯田屋」でも酌み交わした西部邁さん(右)と筆者(中)

 論客の西部邁さんが亡くなった。

 初めて私がお会いしたのは、2008年5月。映画「靖国 YASUKUNI」が物議を醸した頃だったが、西部さんと私は八丈島にある八丈神社の例大祭に招かれ、ともに列席した。

 西部さんは東大全学連の闘士として60年安保で牙をむき、私は70年安保で中央大全学連の武闘派だった。島の野天風呂で意気投合し、「中大の先輩から西部さんが“転向者”と揶揄されたとしても、私にとっては伝説の人です」と熱い思いを話した。

 西部さんは難しい話はせず、「高須君、僕は『黄八丈(きはちじょう)』の反物を買って、どうしても細君に着物を作ってあげたいんだ」と、人懐っこい笑顔を見せた。黄八丈は、島に自生する草木で染めた素朴で美しい絹織物で、国の指定を受けた伝統工芸品でもある。

 島での2泊3日は、私が運転手を引き受けると、後部座席の西部さんは「機敏だねえ。70年代の全学連はまだ体がよく動くなあ」と、うらやんだ。当時、西部さんは70手前、私は還暦を過ぎた頃だ。

 島の歴史に話が及んだ。平安時代には源頼朝の逆鱗に触れた源為朝が流れ着いて島で自害、また関ヶ原の天下分け目の戦いでは西軍についた宇喜多秀家が流人となった。2人の墓に参ると、「君と僕は時代が時代なら、島流しになっていたはずだな」と、ポツリ。“真の保守”として大衆に抗ってきた孤高の後ろ姿を見た思いだった。

 黄八丈の反物を贈った夫人は、2014年に他界した。晩年、テレビで見る西部さんはいつも両手に手袋をはめていた。「もう世の汚いものには触れたくない」との思いだったのだろうか。(出版プロデューサー)

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