【ぴいぷる】ロンブー亮、本音で広げる笑いの“亮”域 相方・淳の引退は「ないですね」

「ロンドンブーツ1号2号」の田村亮

 金髪にして予測不能の天然キャラ。関西弁と標準語が入り乱れた「それ、あかんだろ」というツッコミが逆にイジられ、あたふたしたり…。そこがこの人の魅力でもある。

 「番組が企画ものなら、自分の意思を出さずに一歩引いています。(相方の田村)淳がいるときは淳を立て、仕切りの人の邪魔をしない。(企画には)流れがあり、自分が前に出ることで盛り上がっても編集しづらいと思う」

 そんな内助の功も、お笑いコンビ、ナインティナインの岡村隆史の指名でタッグを組んだトーク番組「おかべろ」(関西テレビ)では、司会としてゲストや岡村への絶妙な合いの手だけでなく、自分の意見をズバズバ言う。

 「トーク番組は自分の意思を示さないと聞き役ばかりになるし、例えば『そんな女の人やめたほうがいい』とか、自分の意思を入れた方が、(予想に反して)いいパターンに転んでいく場合もある」

 共通の知人に「同じ名字やから」と勧められ、淳と「ロンドンブーツ1号2号」を結成。出会ったその日からネタを合わせたが、「絶対、こいつと一緒にやるという感覚はなかった」こともあって事務所に所属せず数カ月間、東京・原宿の舞台で腕試し。「考えたネタがちゃんとウケる」と手応えをつかんだ上で、事務所を探した。

 「最初は太田プロダクションを受けようと思っていたけど、そのときに吉本興業が東京に劇場をつくることになったんです。劇場があるのは強いから、吉本に入りました」

 3年後には冠番組。素人いじりで注目を浴び、ゴールデンタイムのレギュラー番組を次々と担当した。ただ、売れれば売れるほど一発屋としての危機感が募った。

 「売れて番組に出ていることと実力が伴っているということは違うなって。これもあれもやって、自分たちがすみ分けできているのかも分からなかった。『俺ら、大丈夫か』と思ってました」

 次々番組が終了する憂き目にあったが、「いっぱい(番組が)立ち上がることはいっぱい終わることと一緒。今はどの局も長く続く番組が少なく、仕方がない」と開き直ることにした。

 「ウソをついて、いろんなことをやって、器用と呼ばれる人もたくさんいると思うけど、自分は器用ではないし、ウソも得意ではない。誇張はするけど、まずいものをうまいとか、0を3にすることは違うと思うし、本当のことを言うていきたいんです。それを守っておくと、自分の考えが人に伝わりやすくなるし、呼んでくれる人もいる。それで、いらないといわれてもいいんです」

 劇団旗揚げなど、自身の可能性を探り続けてもいる。話題を呼ぶ淳の青山学院大学受験も背中を押した。実は自身も1年半前に教員免許取得を目指して赤本を購入し、大学受験を考えたことがあった。

 「子供の中学進学もあって、エリートじゃない自分が中高生の人生相談に乗ってあげることはできないかなと思い、可能性を探るために勉強したけど、英語で心が折れました。受験のためにとか、脳みそが受け付けない。『セプテンバー』『ノーベンバー』とか(1月から12月まで)『バー』でそろってないのも腹立つし。淳には、英語を頑張れよと思いましたけど、やっぱり苦労しているみたいで」

 淳が大学生になったらコンビはどうなるのか。

 「(コンビ解消や)芸能界引退はないですね。(淳は)今ある番組のことを必死に考えているし、義理堅く、責任感が強い人。ただ、『今後どうすんだよ』ってなるのも、それはそれでおもしろい」。流れに身を任せるという。

 「視聴者が求めるものも変わり、バラエティーが弱くなっているのはさみしい。自分たちが携わっていなくてもいいから、テレビがおもしろいと思えるゴリゴリのバラエティーの、人気番組が出てきてほしい」

 これが芸人としてのいまの願い。

 天然キャラのように見えて実はしっかり考えているところに、人気の秘密の一端を見た。(ペン・田中一毅 カメラ・奥清博)

 ■田村亮(たむら・りょう) 芸人。1972年1月8日生まれ、46歳。大阪府高槻市出身。93年にインディーズお笑い集団「集団田中」で出会った田村淳と「ロンドンブーツ1号2号」を結成し、銀座7丁目劇場オーディションを経て吉本入り。97年に初の冠番組「マンブー!」(TBS)、「ザ・ベストハウス123」(フジテレビ系)などを担当。2007年に劇団「田村亮一座」を旗揚げした。

 ゲストと自由気ままなトークをする関西テレビ「おかべろ」(関西ローカル、土曜午後2時27分)で岡村と絶妙なコンビをみせる。「ヒロミさんたち上の世代は私生活もスターですが、岡村さんは人間味がプラスされた身近なスターです」(田村)