【秘録 今明かす「あの時」】放送作家・奥山侊伸が語る 青島幸男はシャイな女たらし、銀座では2時間で5人ゲット

ああ見えて、コンプレックスを抱えていた青島

★昭和のテレビを彩った巨人たち(1)

 1953年2月1日にNHKでテレビ放送が始まって今年で65年。草創期には、多くの異才たちがバラエティー番組を生み出し、昭和を彩った。そんな巨人との交流をつづった『昭和のテレビ、昭和のあなた』(海豹舎)の著者の放送作家、奥山侊伸(79)が知られざる彼らの素顔を明かす。第1回は青島幸男だ。

 東京都知事にまでなった青島。高度急成長の時代に「無責任」を世に広めた男の実態は、その小説からもわかるように、繊細な筋運び、大胆な展開。少しの劣等感と、わずかな虚言癖の持ち主だった。

 仲間だった大橋巨泉、永六輔が早稲田大学中退なのに対し、青島は早稲田の大学院の中退だ。それが“逆コンプレックス”というか、劣等感につながっていたのかもしれない。

 だからなのかは分からないが、青島さんとロケ先で温泉に入ったとき、こんなことが。

 「あれ? 奥山、俺と同じ体格なのに、ポ○チンが大きいな」

 「いや…、あまり変わらないと思います」

 「それほどじゃないけど、ちょっとデカい」

 そういう青島は何となく落ち込んでいた。でも、緊急時の大きさとか、膨張率が分からないので、私も思わず「大きくしてみますか」。

 「いいよ、バカ!」

 すごくシャイな人で人見知りだった。だが、女にはモテた。若い頃は銀座を歩いては、ナンパをした。いい女とすれ違うと、追いかけて声をかけた。その娘を喫茶店に待たせておいて、次の娘に声をかける。さらに、その娘を別の喫茶店に待たせて、次のターゲットに声をかける。

 そんなこんなで2時間で5人をゲット。別々に店に待たせた女性たちとお茶をして、最後に1人に決めるといった次第。

 「ほかの娘はどうしますか」

 「ほっといていいよ」

 「ひとり、もらっていいですか」

 「好きにしろ!」

 「週刊文春」はあったが、まだ品格!?があった時代。そんな「C調」さが、やがて日本中を“無責任時代”に染め上げていった。

 自宅で取材を受けていたとき、リポーターが、近くにいた息子の利幸に尋ねた。

 「大きくなったら、何になるの」

 「パパみたいになる」

 「へえ、パパみたいな作家に?」

 「うん、女たらし!」

 その利幸も、女たらしになることなく、昨年、56歳でまじめな人生を終えた。=敬称略

 ■奥山侊伸(おくやま・こうしん) 放送作家、ラジオ・パーソナリティー。1938年11月生まれ。北海道旭川市出身。ジャズ喫茶のウエイターなどを経て、前田武彦のカバン持ちになった後、青島幸男の下で放送作家としてデビュー。「8時だヨ!全員集合」「ザ・ベストテン」「世界まるごとHOWマッチ」などに企画段階から参加。作詞家としてもダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「カッコマン・ブギ」など。