【歌い継ぐ昭和 流行り歌 万華鏡】残した恋人を切なく思う男心は遠距離恋愛そのもの、鶴岡雅義と東京ロマンチカ「小樽のひとよ」

鶴岡雅義と東京ロマンチカ「小樽のひとよ」(1967年)

 1960年代にムード歌謡のジャンルでいくつもグループが誕生した。コンボバンドで演奏だけというスタイルから、メーンボーカルが加わり、サイド、コーラスという編成になった。

 社用にかこつけ会社の接待費で飲み食いするサラリーマンの“社用族”に、銀座みゆき通りをアイビールックで闊歩(かっぽ)する“みゆき族”。そんな時代、有楽町や銀座など夜のネオンがまぶしい都会に働く男と女をムード歌謡が癒やしていた。

 鶴岡雅義と東京ロマンチカは65年、「好きなのさ」でデビュー。67年にボーカルの三條正人が加入し、5作目の「小樽のひとよ」が大ヒットした。

 イントロのレキントギターの演奏がピエロのように華やかさと寂しさを演じている。演奏はリーダーの鶴岡雅義。その風貌は銀座の派手さがまるでなく、まじめそうなサラリーマン風で表情一つ動かさない。ボーカルの三條は男前、声はソフトで甘くささやくような歌い方だ。まるで3分間のミュージックドラマを見ている感があった。

 シャイな日本人は甘いムードが苦手だが、ムード歌謡がはやり出すと、音楽の傘を借りて、普段はできないソフトな表情を浮かべて歌えるようになった。恋人の前で歌を聞かせる素地ができた。歌がトキメキの口説き文句に変貌していった。

 「逢いたい気持ちがままならぬ」と小樽に残した恋人を切なく思う男心。3番を聞くと、今は東京にいるが、必ず小樽に迎えにいくから待っていてほしいという。遠距離恋愛そのものだ。

 作詞の池田充男は札幌の人。この歌は池田の実話らしい。ヒット曲は実話だったということが多い。作曲は鶴岡。彼はギターの山本丈晴、アントニオ古賀らと同じ古賀政男の門下生だ。

 69年、「君は心の妻だから」がヒット。同年には浜名ヒロシがサイドボーカルで加入、第2回有線大賞でスター賞に輝いた。NHK紅白歌合戦には68年から6年連続出場を果たす。

 また「夜のヒットスタジオ」では歌謡ドラマのレギュラーになり、鶴岡をはじめとするメンバーらがコント演技も披露した。2009年に浜名が死去し、17年には三條が旅立った。

 昭和のムード歌謡の功績がたたえられ、14年には鶴岡雅義が第56回日本レコード大賞で功労賞を受賞している。

 ■篠木雅博(しのき・まさひろ) 株式会社「パイプライン」顧問。1950年生まれ。渡辺プロダクションを経て、東芝EMI(現ユニバーサル)で制作ディレクターとして布施明、アン・ルイス、五木ひろしらを手がけた。徳間ではリュ・シウォン、Perfumeらを担当した。17年5月、徳間ジャパンコミュニケーションズ顧問を退任し、現職。