【歌い継ぐ昭和 流行り歌 万華鏡】女詞を力強く歌った前川清 内山田洋とクールファイブ「長崎は今日も雨だった」(1969年)

内山田洋とクール・ファイブ「長崎は今日も雨だった」

 内山田洋とクールファイブが「長崎は今日も雨だった」でデビューしたのは1969年。

 前川清の歌は力強いストレート、手元でホップする剛球だった。歌う姿勢も真っすぐ前を見て頭を動かさない。この頃はムード歌謡グループが多く誕生したが、都会的でソフトな甘いボーカルが主だった中、前川のボーカルは強烈な個性だった。ビジュアルも長身、髪形は前髪を立たせた独特なスタイルでひと際目立った。

 歌は連日、喫茶店やスナックのラジオ、有線から流れ、あっという間にヒットし、同年のレコード大賞新人賞を受賞。NHK紅白歌合戦にも初出場する。前川はその後、ソロも合わせて29回出場している。

 前川は長崎県鹿町町(現佐世保市)の生まれ。佐世保の米軍基地から流れるジャズに衝撃を受け高校を中退。キャバレーで歌ううち、クールファイブに誘われ、長崎のグランドキャバレーの「銀馬車」のステージに立つように。「涙こがした恋」「西海ブルース」を自主盤で発売すると、たちまち有線で評判に。

 九州巡業中に評判を聞きつけたバンドマスター、チャーリー石黒が「銀馬車」で生歌を聞き、その場でデビューを約束。チャーリーは森進一をスカウトした人でもあった。

 69年「逢わずに愛して」、70年「噂の女」、72年「そして、神戸」とヒットを連発。

 ヒット作が出ると、しばらくは同じ作家が担当するものだが、作詞が全作違うのは珍しい。歌詞は女詞が多い。

 〈よして、よしてよ〉と女が嘆願する歌詞を前を見据えて力強く歌う。女詞を歌うのに、女っぽく表現することはまるでなかった。男は勢いにのまれるだけだった。

 75年には「欽ちゃんのドンとやってみよう」にメンバー全員がレギュラーで出演。前川のボケキャラが大いに受けた。

 前川は87年にソロ活動に入る。もともとジャズに憧れていたことからすれば自然の流れか。CMソングなどはその片鱗を感じさせるものがある。

 2006年に内山田が死去。前川はクールファイブを再結成し、ソロ活動と並行しながら活動している。 

 ■篠木雅博(しのき・まさひろ) 株式会社「パイプライン」顧問。1950年生まれ。渡辺プロダクションを経て、東芝EMI(現ユニバーサル)で制作ディレクターとして布施明、アン・ルイス、五木ひろしらを手がけた。徳間ではリュ・シウォン、Perfumeらを担当した。17年5月、徳間ジャパンコミュニケーションズ顧問を退任し、現職。