【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】「強いから負けない!」個人事務所は破産、巨額返済金で孤立無援も…ファンの存在が支えに

台湾のチャリティーコンサートでの発言が世間を騒がせた(右端)

 「仕事をめぐる中森明菜の人間関係は破滅状態でしたね。彼女を利用しようとする人間ばかりだったのかもしれませんが、揚げ句が『業界から出ていけ』ですから、まさに不幸を背負った歌姫でした」(プロダクション関係者)

 次々に起きるトラブルにスポーツ紙や週刊誌は「引退危機」と報じた。ファンクラブ企画のバースデー・コンサート中止、そしてチケットの未返金騒動、所属レコード会社の契約打ち切り。とにかくネガティブな情報しか出てこなかった。

 「個人事務所のマネジャーが辞めたとか、バースデー・コンサートを企画した代表者も行方不明になったとか、振り返ると明菜を取り巻く人間は無責任の限度を超えていた。ドラマ出演やコンサートなどのブッキングを請け負った制作プロダクションも契約切れで、まるで業界全体が明菜を見放した感じでしたね」(芸能記者)

 バースデー・コンサート中止に伴う返済金は、明菜が総額2400万円を肩代わりした。が、返済金はそればかりではなかった。

 「実はその前の1996年暮れだと思いますが、個人事務所が東京地裁から破産宣告を受けたのです。基本的にコンサートやビデオなどの映像商品を制作していましたが、明菜が事務所の社長に不信を抱いたとかでトラブルになっていたそうです。負債総額は1億4000万円近かったかと。しかもその翌年は化粧品会社とタイアップしたコンサートがあったのですが、そこでもトラブルが発生したようで、約8000万円を肩代わりする羽目になったそうです。とにかく返済金だけでも四苦八苦だったはず」(週刊誌の記者)

 歌姫明菜は芸能界という荒波を一人でさまよっていたのかもしれない。

 ちょうど20年前の99年11月16日。歌手のジュディ・オングの呼びかけで台湾で起きた巨大地震「921大地震」のチャリティー・イベントが東京・有楽町の東京国際フォーラムで開催された。ジャッキー・チェンや谷村新司、南こうせつ、CHAGE&ASKA、浜崎あゆみらとともに明菜も出演した。明菜が公の場に姿を見せたのは約8カ月ぶり。所属レコード会社だった「ガウスエンタテインメント」社長から契約打ち切りを宣言された直後とあって、その動向が注目された。

 「コンサートは明菜が登場すると、一気に声援が高まりました。しかも会場のあちこちで『明菜、頑張れ!』の声が飛び交いましたから、何だかんだ言っても人気は根強いものがありました」(音楽関係者)

 ファンの声援に迎えられた明菜は「明日に向かって希望の持てる明るい曲です。聞いてください」と「Dear Friend」を力いっぱい熱唱した。

 「途中感極まったか、目が潤んだようでした。しかしさすがは歌姫だけあってステージは見事。全盛期をほうふつさせるものがありました」(前出の音楽関係者)

 その明菜が最後に力強い口調で言い放った。

 「私、強いから絶対に負けたりしません!」

 「商品価値がない」と言われ、孤立無援の明菜の宣戦布告とも思えるメッセージに、記者も大騒動となり、終演後に出待ちをしたが、すでに明菜は立ち去っていた。

 「結局、明菜にとって一番の支えはファンであり、歌い続けることしかなかったということでしょう」(音楽関係者)(芸能ジャーナリスト・渡邉裕二)

 ■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、54歳。東京都出身。81年年7月11日、16歳の誕生日直前に出場した日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生!」で合格し、82年5月1日、シングル「スローモーション」でデビュー。「少女A」「禁区」「北ウイング」「飾りじゃないのよ涙は」「DESIRE-情熱-」などヒット曲多数。

 NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。