東京都練馬区にある遊園地「としまえん」が31日をもって94年の歴史に幕を閉じます。私も東京の生まれですから小さい頃から遊びに行きました。
それは1977年の夏休みのことでした。新宿区立淀橋第一小学校の児童だった私に母親が前夜の酒が残った息で「学校のプール行かなくていいの?」と朝からけしかけてきます。当時、両親は商売をやっていた関係上帰宅が遅く、私もそれをいいことに子供が見てはいけない時間のテレビを見て夜更かししていました。私に母親の言葉なぞ「知らないよ~」と、タオルケットを身体に巻き付け、夏休みの学校プールをサボろうともう一寝入りを決め込んでいました。
小学校での私は成績も生活態度も最悪の問題児で、担任からは「小学生不適合者」と烙印(らくいん)を押される始末。母親としては、せめてこの夏休み中に小学校でのマイナスを少しでも息子に取り返すためにプールぐらいは真面目に出てほしかったのでしょう。
しかし私は小学校のプールに行きたくない理由があったのです。それは学校指定のネーム入りの紺一色の海水パンツがどうしてもカッコ悪くてそれを履いて泳ぎたくないという理由でした。せっかく買ってくれた「HANG TEN」の水着で授業を受けようとしたときに担任から「その海パンじゃ授業は出られない」と叱られ、それ以来授業のプールも見学しかしていなかったのです。
そんな理由で朝から母親相手にぐずっていると、これまた二日酔いで起きてきた父親が「そんなことは、いいからプールに行くぞ!」と私を引っ張り起こします。向かった先は、小学校のプールではなくとしまえんのプールだったのです。
私は学校で禁止されているお気に入りの海パンを履いて思いっきり楽しみました。両親はといえば、ごった返す人の群れと二日酔いの体で疲れ果て、2人でグッタリとしてサイドで窮屈そうに寝そべっていました。
夏休みに二日酔いの両親と行ったとしまえん。「あんな芋洗いプールだもんなぁ。疲れたけど酒が抜けたよ」とクタクタの両親はそのままプール帰りでお店に出ていき、濡れた水着を持った私は帰宅したのです。
私が大人になり、父が死に、老いた母親と思い出話をしていたときにとしまえんの話になりました。すると母親は「あたしとお父さんが最初に会ったのが、あそこの運動場の会社の運動会だったんだよ」。聞けば、若き両親は当時それぞれ違う会社に勤めていたのですが、この運動会に参加して出会ったそうです。
2人が出会った地に息子と一緒に遊びに行った気分はどうだったのでしょうか? あの日の2人は二日酔いで日に照らされ体力を消耗して、感傷に浸るどころではなかったでしょう。
としまえんは閉園しますが、そこで出会った若き日の両親がつくった息子の思い出は一生残るのでした。
■玉袋筋太郎(たまぶくろ・すじたろう) お笑い芸人。1967年6月22日生まれ。東京都新宿区出身。86年にビートたけしに弟子入り。TBSラジオ「たまむすび」(金曜)、TOKYO MX「バラいろダンディ」(火曜)にレギュラー出演中。2013年から一般社団法人全日本スナック連盟会長。著書に「スナックあるある この素晴らしき魑魅魍魎の世界」(講談社)、「スナックの歩き方」(イースト新書)など。