記事詳細

【秘録 今明かす「あの時」】立川談志、新橋演舞場でオ○○コ絶叫! 銀座のバーで紙に書いた言葉は… (1/2ページ)

★昭和のテレビを彩った巨人たち(5)

 立川談志は落語界の異端児だった。ちょっととんがっているとか、毒舌とか、全部をひっくるめて異端児ということだ。

 いろいろあって落語協会を飛び出し、立川流を創った。困ったのは弟子たちだ。落語協会に所属していないと東京都内の落語の小屋(寄席)に出演できない。なのに「勝手に生きろ」という。

 そこで、弟子たちは落語会をやる場所を開拓した。そば屋の座敷、休日や営業が始まる前の銭湯、小さいホールなど。立川志の輔は寄席には出ていない。その代わりパルコ劇場で1カ月も公演(独演会)をやる。立川流がホール落語を確立させたといってもいい。

 立川流と名乗り、家元になり、月謝も取った。伝統芸能の落語の世界では考えられないことだ。

 私の目には“天才”に映った。落語に関しては“名人”ということに異論はないだろう。そして生き方は、やっぱり“狂気”である。

 2006年5月30日、「談志・志の輔親子会」が東京・新橋演舞場で開催された。家元は開幕のベルが鳴り終わると花道からふらふらと登場。大拍手の中、センターの座布団に座って一礼すると大声でこう叫んだのだ!

 「オ○○コ~ォ!」

 あの上品な演舞場で…空前絶後だ。しかも演目は「金玉医者」。ちゃんとした古典だ。が、演じる人は少ない。それを軽妙に淡々とやった。

zakzakの最新情報をSNSで受け取ろう