記事詳細

【日本のロックフェス激闘史】はじまりはまさかの台風直撃…夢をかなえた“自然の中の音楽祭” 「フジ・ロック・フェスティバル」(1997年~) (1/2ページ)

★(5) 

 バブルがはじけて、企業がジャズ・フェスや文化イベントから軒並み撤退した90年代後半。「夢をかなえるには口出しするスポンサーなんか要らない」と“フジロック丸”を船出させたスマッシュ代表、日高正博氏。

 “自然の中の音楽祭”を実現させようと、山梨・富士天神平スキー場を会場に選んだ第1回はまさかの台風直撃。レッド・ホット・チリ・ペッパーズらを楽しみに集まった観衆は右往左往。会場から出る一本道は参加者の違法駐車で河口湖駅から客をピストン輸送するバスが立ち往生。すべて初体験で雨具も防寒服もない観衆は次々ダウン。主催者も行政や関係各所からの勧告、近隣から殺到する苦情にやむなく2日目の開催を中止した。

 そんな中、元クラッシュのジョー・ストラマーは雷鳴轟く丘の上のDJテントで、びしょぬれ、へとへとの30人のキッズを励まし「落雷したらみんなでロックンロール・ヘブンに行こうぜ!」と朝まで盛り上げた。知る人ぞ知るフジ・ロック神話だ。

 切符の払い戻し、出演できなくなった出演者へのキャンセル料…。「破産を覚悟した」と日高氏。ところがスタッフが興行保険を手続き済み。台無しになった芝生の修理代の程度で済んだおかげで今のフジロックがあるわけだ。

関連ニュース