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【昭和歌謡の職人たち 伝説のヒットメーカー列伝】喜多條忠さん、「神田川」が大ヒットも代々木のアパート暮らし (1/2ページ)

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 「神田川」を作詞された喜多條忠さんに会ったのは業界に入ったばかりの研修生の頃だった。繊細な詞を書く人は青白い顔して、いかにも詩人ぽい容貌かと勝手に想像していたが、実際は大柄な体格で柔道もやるという体育会系で驚いた。

 会社で打ち合わせを済ませると、後がないからとお茶に誘われた。おっとりとした物腰で着飾ることもない人。すっかり打ち解けると、その後は食事をし、酒を酌み交わすようになった。

 新米の僕は暇を持て余していた。先輩諸氏は耳に鉛筆をはさみ、忙しそうに仕事の電話をしているから肩身が狭い。それで映画会社に行くふりをして、映画や芝居を見にいった。その勢いで代々木にあった喜多條さんの仕事場にも遊びにいったものだ。

 「神田川」が大ヒットしたので、さぞかし大きな家に住んでいるかと思いきや、生活ベースは変えたくないからと代々木のアパートの1室だった。集まるのは新米社員とか各社の制作担当になった者ばかり。早い話、できる制作マンはいなかった。そういう連中をかわいがってくれた。

 バクチ好きで競馬は大穴しか買わないタイプ。“艶歌の竜”と呼ばれた音楽ディレクター、馬淵玄三さんと同じ。大きく跳ねるくらいじゃないとバクチじゃないのかもしれない。

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