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【デビュー50周年水木一郎 アニキのオタケビ半生】「『売れない歌手』って曲もあった」 期待されながらも鳴かず飛ばずだった新人時代 (1/2ページ)

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 「歌謡界のプリンス」のキャッチフレーズで、「君にささげる僕の歌」でデビューしたのが1968年。

 「水木一郎という名前は、当時、人気のあった舟木一夫さんを超えようと師匠の作曲家、和田香苗先生がつけてくださったんです。舟は水がないと動けないので“水”、それに“木”と“一”。そして夫は“郎”と。で“水木一郎”というわけです」

 デビューシングルのジャケットの裏には、「一生歌っていける字画」だとの姓名判断まで書かれたほど、期待が込められた名前だったのだ。

 「でもね、鳴かず飛ばずだったんです。姓名判断は当たってないじゃないかとも思いましたが、仕方がないので、銀座で流しの弾き語りをやっていたんです。カラオケもない時代ですから、生ギターで、当時のヒット曲なんかをいろいろと歌ってましたよ」

 結果的には、50年間も歌ってこられたわけだから、姓名判断は決して外れてはいないわけだ。

 とはいえ、当時期待されながらも売れない歌手というのはなかなか肩身が狭かったようで、「70年にデビューした野村将希くんと錦野旦くんたちと一緒に札幌で新人歌手サイン会ってやったの。いろんな歌手が並んでいるんだけど、僕のところには誰も並ばない。考えましたね。並んでくれた人には『名前入れましょうか』『下の名前も書きましょうか』とか、一人一人丁寧にサインするんです。じっくりやっていると段々列が長くなってね」と振り返る。

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