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【デビュー50周年水木一郎 アニキのオタケビ半生】「ゼーーーット」誕生のウラに“コサキン”との出会い (1/2ページ)

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 いまや水木一郎といえば、赤いマフラーに「ゼーーーット」のオタケビでおなじみだ。だが、そこにたどり着くには紆余(うよ)曲折があった。

 「僕はね、30の声を聞いたら、アニメソングをやめようと思っていたの。だって、30歳にもなって“ブロロロロー”はないでしょうと思っていたから」

 もし30歳でアニソンを歌うことをやめていたら、今の“アニキ”はなかったかもしれない。しかし、そんな思いを変えたのは“コサキン”こと小堺一機(62)と関根勤(65)だった。

 “コサキン”との初共演は1984年、「24時間テレビ」のステージだった。

 「シャウトしながら歌っているうちに観客と目があって、照れちゃったの。それを小堺くんと関根くんが見逃さずに、突っ込んできて…。その後も彼らのラジオで結構、イジられてね。ゲストで出るうちに“オタケビ”なんてネーミングされて、CDまで出すことになったんだから。“ブロロロロー”なんて恥ずかしいと思っていたけど、今じゃかっこいいって言われるわけ。ホント、彼らのおかげですよ」

 浮き沈みの激しい芸能界で、50年も歌い続けてきた。その間にはいくつものチャンスが訪れた。

 「人生にチャンスなんて2度あるかないかだけど、僕は10年おきに大きなことが起きるんですよ。でもそれは結構、偶発的なものが多いんです。『ゼーーーット』だって、最初はトークの終わりに『ブロロロロー』って言ってたの。でも、それでは話がつながらない。意外と疲れるしね。で、『ゼーーーット』のほうが面白いし、いいんじゃないってことになったの。使いやすいんだよね」

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