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【裕次郎番記者だけが知る 寺尾聰ワンパク半生】「ルビーの指環」大ヒットの絶頂期に石原軍団から「破門」通告!? (1/2ページ)

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 秋の叙勲で旭日小綬章を受章した俳優の寺尾聰(71)。今は父の宇野重吉氏に迫るほどの名優だが、若いころは手もつけられないヤンチャだった。石原裕次郎の番記者だった筆者がその“ワンパク時代”をつづる。

 わけはどうあれ、スポーツ紙の部長の名刺を目前で破り捨てる…。寺尾聰の失礼な行動に、名刺を出した当人もあ然とし立ちすくんだ。

 石原プロの小林正彦専務は飛んできて「ばか者、すぐに謝れ!」と一喝。ところが寺尾は「知らないねぇ」とふてくされ、プイと立ち去った。

 石原プロは規則と礼儀を重んじる男の軍団。特にマスコミ対応には神経を使う。例えば石原プロ製作のヒット映画「栄光への5000キロ」(1969年)のアフリカロケで、ナイロビまで出張し記事を書いた記者への恩義を半世紀たっても忘れず、定期的に「ナイロビ会」を催したほどだ。

 それだけに、寺尾の目に余る態度は軍団でも評判となり、聞き及んだ裕次郎さんは腕組みをして黙考したという。

 ジュディ・オングとも恋をしたが「結婚後は引退して家庭に入ってほしい」と強要したため、一家を支えていた彼女には断られている。

 お次は石原プロ製作のテレビ朝日「西部警察」にゲスト出演した14歳年下の星野真弓(当時19歳)をロケ先の博多で口説き落とす。

 星野は79年、資生堂のCM「微笑の法則」のイメージガールとして登場。キュートな美人で「前途洋々」の有望株だった。離婚した范文雀と同じ「職場恋愛」だったが今度の事情は違った。

 モデル、女優として脚光を浴びていた星野は、西田敏行主演の日本テレビ「池中玄太80キロ」にも出演していた。しかし「おめでた」が分かると、彼女は自分の出番が終わるや引退したのだ。

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