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【番記者だけが知る女優・樹木希林の壮烈人生】芸名「悠木千帆」を2万2000円で売却… 新芸名「樹木希林」誕生と大ヒットまで (1/2ページ)

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 樹木希林さんは1964年に森繁久弥主演のテレビドラマ「七人の孫」にレギュラー出演して注目を浴びたが、当時の芸名は「悠木千帆」だ。

 「芸能界では勇気が必要」と父親が考案し、最初は「勇気凛々」という言葉から「悠木凜子」が浮かんだ。さらに版画家の前川千帆の名前を借りて「悠木千帆」が誕生したのである。

 77年の春、当時のNETテレビ(テレビ朝日)の喫茶ルームで彼女に会うと、なんと突然「芸名を売ってしまおうと思うの」と切り出した。すっかり定着した「悠木千帆」をお金で売ってしまおうというのだ。なぜ?

 理由はこうだ。NETは、その年の4月1日に「テレビ朝日」と社名変更することになっていた。関連イベントも、前年のアントニオ猪木対モハメド・アリの「格闘技世界一決定戦」中継や、80年開催の「モスクワ五輪」のテレビ独占放映権獲得など盛りだくさん。

 そんな中、当時イベントの指揮官だった同局の三浦甲子二専務が「人気芸能人にもアイデアを提供してもらえ」と現場に指示。協力した1人が彼女だった。4月1日の生放送で、本人が出演し「悠木千帆を売ります」と競売にかけたところ、青山でブティック店を経営する女性が2万2000円で落札した。

 名前を失った彼女は新芸名の決定を急いだ。まず考えたのが本名の「内田啓子」だが、別居中の夫、内田裕也から「内田を芸名にすると個性が君の芸に絡むようでよくない」と反対され、TBSの久世光彦プロデューサーからも「そんなイージーな役者は死ね」とはねられる。

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