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【ぴいぷる】和牛、漫才いまも“熟成中” 水田「スベるより新ネタ作らなくなる方が怖い」 川西「やり込んだら、違うのやりたくなる」 (1/3ページ)

 「3回目は一番すがすがしかったですね」

 2018年のM-1グランプリで3年連続準優勝。またしても頂点に手が届かなかった。その瞬間を水田信二は穏やかに振り返る。

 「2回目(17年)の方が悔しい、しんどい、またって…という感じで、舞台上で相方に『来年、どうする?』って言ったほど。今回はお互い、おもしろいと思っているネタで、めっちゃウケた。やりたいことはやった」

 さばさばした様子。水田の言葉を聞きながら、相方の川西賢志郎も静かにうなずく。タイトルは取れずとも自分たちなりに納得できるバトルだったという。

 水田が芸人になりたいと思ったのは中学時代。高校を卒業し、コンビを組もうとしていた同級生を追って調理師学校に願書を出すが、それがまさかの展開になる。

 「入学が決まってから、その同級生が『行かない』と言い出して(笑)。結局、1人で入学。で、やってみたら、好きになって一度は料理人になりましたけど、やっぱり一番やりたかったのは芸人だと」。そのときすでに23歳。

 川西は“お笑いの聖地”大阪に生まれ、幼い頃からのお笑い好き。高校卒業後、吉本総合芸能学院(NSC)に迷わず入学する。

 経歴上では、ともにNSC26期生。だが、初めての出会いは卒業から2年後で、同期のピン芸人「バイク川崎バイク」の紹介だった。

 そのときの第一印象は、「あっ、この人と一生、漫才する」(水田)。「そんなん、いままで言ったことないやん。僕は『料理人が来た』と」(川西)。かなりの温度差があったようだ。

 3度、準優勝で終わったと言ってもそこは実力者。14年のNHK上方漫才コンテストで優勝した練りに練ったネタと、観衆を引き込む底力は、数いる若手芸人のなかでも頭一つ抜け出ている。

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