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【BOOK】NHK元アナウンサー・鈴木健二さん 90歳「語り部」からの遺言 「戦闘は終わったけど戦争はまだ終わっていない」 (1/2ページ)

★『昭和からの遺言』幻冬舎・1100円+税

 まーるいお顔に、黒縁メガネ、丁寧な言葉遣い。ブラウン管でおなじみだったあの人がこんな悲惨な戦争体験の当事者だったとは知らなかった。明治・大正どころか昭和も遠くなりにけり…の今、御年90歳の「遺言」はズシリと胸に響く。(文・南勇樹)

 --約10万人が亡くなったという東京大空襲(昭和20年3月10日)を体験された

 「中学(旧制)の卒業間近でした。私の家は東京の下町、今の両国国技館の裏あたり。その夜、すさまじい轟音(ごうおん)とともに、B29が落としていった、おびただしい焼夷(しょうい)弾によって、周囲は、たちまち火の海になりました。行く手を遮るようにして、ものすごい熱風が上空から吹き付けてくる。火だるまになった人の叫び声、男女の別も分からないほどの黒こげの体。私たちの目の前で、何人もがもがき、苦しみながら倒れてゆく。人間が焼け死ぬ姿が、どんなに残酷だったか。まさに地獄絵図でした」

 --民間人(非戦闘員)を巻き込むことも承知の上の無差別爆撃だった

 「たった3時間で一面が焼け野原になったのです。翌朝、自宅の様子を見に行こうとしたら、道には、遺体がいくつも横たわったまま、小学校の校庭には、まさしくぎっしりでした。両親と私は2時間も逃げ惑い、ようやく両国駅にたどりつきましたが、その日、多くの幼なじみや友だちが亡くなりました」

 --代々の江戸っ子だそうですね

 「父はもともと、日本橋で呉服関係の商売をやっていました。ところが、6つ上の兄(映画監督の故・鈴木清順氏)の生後100日の“お食い初め”のお祝いをやっている最中に関東大震災が発生、被災した父は多額の借財を背負ったそうです。その後、隅田川の東の本所・亀沢町に移り、自転車部品の製造・販売業を始めたのです。東京大空襲のとき、兄は学徒出陣で南方へ行ったまま、行方もよく分からない。母は心臓が悪く、父と私で支えるようにして逃げました。東京大空襲では借金こそなかったものの、家財も工場もすべて再び失いました」

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