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【高須基仁 人たらしの極意】平民宰相・原敬がふるさと盛岡に残した“宝” 名物「わんこそば」のきっかけにも

 だれも言わないから、私が言う。いまの政治を見て、101年前の1918年、東北人として初の首相に就任し、本格的政党内閣をつくった原敬は嘆いてるだろう。

 先日、岩手めんこいテレビ(フジ系)の工藤哲人プロデューサーが制作した原敬総理就任100年記念番組「ホージャク!」を鑑賞してそう思った。原敬は幕末の1856(安政3)年、盛岡藩士の家に生まれた。12歳で戊辰戦争を経験し、明治維新後に上京。新聞記者や外交官などを経て、政治家の道へ進んだ。老獪(ろうかい)な山県有朋、大隈重信らに粘り強く対抗。爵位を拒み、平民宰相と呼ばれた。原敬が総裁を務めた立憲政友会は、自民党の源流だ。

 自民党本部の幹事長室には、今も原敬の揮毫「宝積(ほうじゃく)」が掲げられている。工藤プロデューサーは「宝積は、人に尽くして見返りを求めないという意味。エゴを捨て真摯に政治に取り組み、暗殺も恐れなかった原敬の根幹には武士道精神がある」と語る。

 番組は、小説「銀河鉄道の父」で昨年直木賞を受賞した作家の門井慶喜氏が、原敬の故郷・盛岡を旅する内容。原の寄付金で建設された盛岡市立本宮小学校の体育館の壁には、驚くほど大きな肖像画があった。全ての教室の黒板の上には、「宝積」の二文字。“宝積活動”という地域の清掃活動も行っている。わんこそばも、原敬が漆塗りのお椀でそばを振る舞い、客人をもてなしたのがきっかけだといわれる。

 門井氏は「原敬が盛岡を愛したから、盛岡の人たちもハラケイを愛したのだろう」と語る。1921年11月4日、東京駅で暗殺された原敬の墓の隣には、妻・浅の墓が並んでいる。原敬はバツイチで芸者の浅と再婚した。献身的に支えた浅は、墓所で横向きに埋葬されている。「死んでからも原敬をずっと見つめていたいから」。人たらし政治家の登場を待ち望む!(出版プロデューサー)

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