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【カリスマ逝く 激動!!ジャニーズ】自ら制作「映画 少年たち」 約50年かけて実現した“忘れ物” (1/2ページ)

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 私がCBSソニーで手がけたフォーリーブスから郷ひろみへとトップアイドルの時代を過ごしたジャニーズ事務所が、冬の時代を迎えていた。そんなときに発掘したのが見るからに美形の川崎麻世。

 川崎の売り出しは、ジャニー喜多川氏ではなくむしろ藤島メリー泰子氏が熱心だった。ところが3作目のシングルを制作中、メリー氏の自宅で女性トラブルを起こしたためにクビにしたとメリー氏から電話があった。

 ジャニーズ事務所の一角を成すと思われた彼がジャニー氏の触覚に触れなかったのは、そんな彼の負の一面をジャニー氏が本能的に見抜いていたからか。

 その後、現れたのが16歳の豊川誕。2歳のときに公園に遺棄されていたのを保護され、児童養護施設で育った生い立ちを隠さず、1974年にジャニーズジュニア3期生として入所。75年『汚れなき悪戯』でデビューしたが、77年以降、事務所への入退を繰り返した。親の愛情を知らずに育ち、ジャニー氏の親心に思い至れなかったのだ。

 今春、ジャニー氏が製作した『映画 少年たち』を見た。当時のアルバムがそのままちりばめられて感慨深かった…。というのもこの作品、正確にはこのタイトルに私なりの思い入れがある。

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