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【YFM 夕刊フジmusic】“元気であれば”いい音楽ができる 鈴木康博インタビュー

■9月8日「『あの頃青春グラフィティ』SPECIAL CONCERT」出演

 ギター片手に全国津々浦々、「元気であれば」と巡るヤスさんを待っていてくれる人がいる。

 小田和正と結成したオフコースは1970年にデビュー。82年の日本武道館10日間公演で頂点を極めたが、それを最後に鈴木はバンドから離れた。

 デビュー当初はフォークの系統。「作曲家や作詞家の先生が作った文化ではなく、自分たちの世代のものを作ろうと。そのうちジェームス・テイラー、キャロル・キングらシンガー・ソングライターが出てきて、今の自分と時代を照らし合わせて歌っていた。それこそがやってきたことだった」

 ただ、時代はロック全盛期。「ビートルズはもちろん、レッド・ツェッペリンとかロックの流れも一緒にきていた。このままじゃサウンド的に負けちゃうと思ったし、バンドにしなきゃなと。だからメンバーを3人加えて」

 5人になったオフコースは確実に変貌した。しかし、気持ちはいつしか離れていく。

 「『武道館でやろう』という声が出て、俺と小田は2000人規模のほうがいいと反対した。でも『チープトリックを見ろよ。すごい』って。やるならばサウンドはでかくしなきゃいけないし、いろいろ考え方が変わった。武道館後も続けていけばもっと大きくなれたと思うけど、俺、やめちゃった」

 やめた原因は“居場所”がなくなったこと。

 「バンドが小田のイメージでできあがりつつあって、そぐわない曲ははじかれたり、どんな曲を作ればいいのか分からなくなってしまった。これは、同じ土俵にはいられないなって…」

 卒業して、ソロ「Sincerely」を翌83年に発表。自分探しの旅がスタートした。

 「それでも当初はやらされている感があって、自分で思う、やりたいことができてきたのは50歳を過ぎてから。アルバムでは98年『Anyone』あたりからだろう」

 今は“元気であれば”と曲を作り、弾き語りで全国を巡っている。11月4日にバンド形式の「元気であれば SPECIAL」(渋谷・大和田さくらホール)もあるが、9月8日の「『あの頃青春グラフィティ』SPECIAL CONCERT』(虎ノ門・ニッショーホール)も楽しみなステージだ。

 「オフコースの『一億の夜を越えて』と、最新アルバムの曲と何かな。ビートルズのユニットはラジオにゲストで来てくれた芳野藤丸さん、中村耕一さん、原田真二さんと一緒。ビートルズには子供のころから馴染んできて、アップル設立など先駆者としての活動すべてに影響を受けてきた。9月8日はとにかく、みなさんに喜んでもらえるライブにしたいです」

 笑顔が優しいヤスさんを見れば、みんな元気になれそうだ。

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