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【織田哲郎 あれからこれから】若くして逝った秀才の兄…岩崎宏美さんの曲に心開き 音楽だけが唯一、社会との接点だった (1/2ページ)

 私の兄は中学時代、成績はオール5で剣道部の主将でした。が、高校1年の時に大病で入院後、高校に行かなくなってしまったのです。

 もともと能天気な私とは違い、100でなければ0といった、今考えれば危ういところのある気性ではあったと思います。その頃に父親が仕事で英国に行くことになり、私は一緒についていきましたが、兄は何とか心機一転し、数年後に私も入ることになる高知の学校の寮に入り、高1からもう一度やり直すことになりました。

 兄の話をこうしてちゃんと書くのは初めてですし、正直、今でもとてもやりきれない、切ない気持ちになります。あの時大学受験の都合なんて考えずに、一緒に英国に行けなかったんだろうか。

 英国の学校で一緒だった日本人の友人はそのまま英国の大学に行き、研究者として大学に残りました。そんな道だってあっただろうに…などといろいろ思いますが、あの時はいくらそんな話が出てきても、結局そんな選択はできなかったんだろうと思います。

 私の父は東京大学を出ています。父の弟もやはり東大生でした。基本的に私たち兄弟は、東大に入るのが当然、といわれて育ちました。幸か不幸か、私は小学校入学の際に、通常のクラスは無理だろうといわれるような、今で言う発達障害児童だったので、諦められていた部分もあったと思いますが、兄は小学校から真面目な秀才でしたし、長男ということもあり、真正面から父の話を受け止めていたと思います。

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