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【織田哲郎 あれからこれから】“ひたすら酒に逃げる”最悪の選択をしてしまい… (1/2ページ)

 1997年5月には相川七瀬の「スウィート・エモーション」がリリースされました。これは英国での中学時代に私が大好きだったグラムロックの影響が色濃く出た曲です。この「スウィート・エモーション」と「トラブルメイカー」「恋心」が入った『paraDOX』というアルバムが7月2日にリリースされると、1枚目に続きミリオンセラーになりました。

 そしてこの年の秋、私はずっとお世話になったビーイングを離れることになります。経緯を詳しく書こうとは思いません。ただ、私がずっと音楽家としてやってこれたのは、長戸大幸さんと、彼が作ったビーイングのおかげでした。当時私のような社会性のない人間に居場所を作ってくれたことは、今もずっと感謝しています。

 97年12月には、ZARDに提供した「My Baby Grand~ぬくもりが欲しくて~」がリリースされ、翌98年3月にリリースされた「息もできない」が、ZARDに提供した最後の曲になりました。

 98年1月には、95年に起きた阪神淡路大震災へのチャリティー活動の一環として、TOKIO、V6、KinKi Kidsによって結成されたJ-FRIENDSに「明日が聴こえる」という曲を提供しました。

 そして4月には、織田哲郎名義で4年ぶりとなるシングル「青空」をエイベックスからリリースしました。

 さらに、今考えると本当にアホとしか言いようのない話なのですが、この頃「DON’T LOOK BACK」というバンドを結成したのです。そしてバンド名と同じタイトルの「DON’T LOOK BACK」というシングルが、同じく4月にリリースされました。

 当時、私はプロデューサーや会社の人間の立場として、音楽以外のことに神経が摩耗していく状況にあったので、純粋にミュージシャンたちとロックに取り組める“聖域”のような場が欲しかったのだと思います。

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