【桂春蝶の蝶々発止。】追悼・野村克也さん 「変わること」の素晴らしさを教えてくれた大監督 (2/2ページ) 桂春蝶の蝶々発止。
「ノムさんが種をまいて選手を育ててくれたんや。そのおかげで今の阪神がある」
星野政権で2003年の優勝。岡田彰布さんに代わって05年の優勝。これはノムさんのおかげなのです。そう。ノムさんは織田信長のごとく、阪神の古き悪しき既成概念を破壊してくれた。
当時の久万俊二郎オーナーにも、ノムさんは「4番とエースは育てられない。育ったのは掛布ぐらいじゃないですか」と積極補強を進言しました。「あなたが変わらないと球団は変わらないですよ…」と、久万オーナーに言い続けたのです。
久万さんは常に顔を真っ赤にし、憤怒の表情を浮かべたそうですが、このオーナーが偉かったのは、ノムさんの言うことをきちんと聞いた。それまでは、本当にひどかったんですよ。
あ、ウチの親父(=二代目桂春蝶)が甲子園に行ったら必ず負けるという都市伝説がありました(笑)。ライトスタンドに親父の姿を見つけると、応援団が「春蝶帰れ! 春蝶帰れ!」の大コール。だけどあれは親父のせいというか、実際阪神が弱かった。常敗軍団だったのです。
「球団総負け組意識」を刷新したのがノムさんでした。
勝った方が観客動員数は跳ね上がり、「営業的にも強い方がもうかってええやん」。これにやっと気付いたんです。甲子園も楽しくなった。90年代までは、うどんとカレーしか売ってなかったもんなぁ。商売やる気なかったよなぁ(笑)。
野村克也さん…変わることの素晴らしさを教えてくれた大監督でした。
心よりご冥福をお祈りします。
■桂春蝶(かつら・しゅんちょう) 1975年、大阪府生まれ。父、二代目桂春蝶の死をきっかけに、落語家になることを決意。94年、三代目桂春団治に入門。2009年「三代目桂春蝶」襲名。明るく華のある芸風で人気。人情噺(ばなし)の古典から、新作までこなす。14年、大阪市の「咲くやこの花賞」受賞。