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【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】ビジュアルを前面に巻き返し! 「3年計画」でジャケットの撮影カメラマンを人選 (2/2ページ)

 そんな明菜が、芸能界の「お手本」にしていたのが、明菜の宣伝を統括していたワーナーの寺林晁氏(現エイベックス・エンタテインメント レーベル事業本部アドバイザー)が担当していた矢沢永吉の方向性だった。

 「矢沢さんはテレビや雑誌には出ない分、ライブで全国を回ってファンと出会う機会をいっぱい作っている。私も矢沢さんのようなアーティストになりたい」

 富岡は、明菜と行動をともにする中で「そういう純粋な気持ちを酌み取ってあげたい」と考えていた。しかし、明菜の方向性を考える中で富岡が真っ先にこだわってきたのがビジュアルだった。

 「何をしてもアイドルはイメージが大切ですからね。まずは3年計画でジャケットの撮影カメラマンを考えたんです」。ピックアップしたカメラマンが1年目は野村誠一、2年目は渡辺達生、そして3年目は三浦憲治とそうそうたる面々だった。

 「(松田聖子、河合奈保子と並ぶ80年デビューの1人だった)柏原芳恵のプロモーションを見ていて、いつも彼女はジャケットがクローズアップされていたのが気になっていたんです。で、カメラマンを調べたら野村さんだった。だったら、明菜も野村さんに撮ってもらったら、プロモーション展開もうまくいくのではないかと思ったんです。三浦さんは、桃井かおりを撮影してきた人で明菜が桃井の大ファンだったのでピックアップしてみたんです」

 富岡氏のビジュアルを前面に出す考えには寺林氏も賛成し、カメラマンについても「いい人選」と評価した。もちろん明菜も納得した。

 その一方、デビュー曲に続く第2弾シングルが混迷。当時、アイドルのシングルは3カ月に1枚、年間4枚を発売するローテーションが通常だった。そんな感じで当然、第2弾シングルも決まっていたが…。(芸能ジャーナリスト、渡邉裕二)

 ■中森明菜(なかもり・あきな) 1965年7月13日生まれ、54歳。東京都出身。81年、日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生!」で合格し、82年5月1日、シングル「スローモーション」でデビュー。「少女A」「禁区」「北ウイング」「飾りじゃないのよ涙は」「DESIRE-情熱-」などヒット曲多数。

 NHK紅白歌合戦には8回出場。85、86年には2年連続で日本レコード大賞を受賞している。

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