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【あの人も愛した 京ぎをん浜作】カウンターの客を相手にオープンキッチンで料理する方式を創案 浜作こそ「板前割烹」の発明者 (1/2ページ)

 京都にある数々の名料理店の中でも、京ぎをん浜作は特別な位置にある。当代森川裕之氏で3代目だが、数百年の老舗が軒を連ねる古都では格別に古いわけではない。しかし、名匠3代による93年の歩みには政治の中心が東京に移った後もわが国の文化芸術の都であり続けた20世紀の京都の姿が刻み込まれている。連載では浜作に集う文人、画家、映画人から政財界の大立者たちのエピソードを紹介したい。食を通して知る京文化の記録である。

 初代森川栄は1896(明治29)年に富山の冶金学者の家に生まれた。7歳で遠縁の大阪堂島の米問屋に養子に出されたが、そこに子供ができたため、今度は9歳で大阪一の魚屋「魚福」に奉公することになった。

 栄は12歳で料理人を志し、北浜の名人・樽本作次郎、通称「浜作」に入門した。ここで頭角をあらわし、各料亭から引っ張りだこの板前となる。当時の大料亭は料理人を持たず、料理人が所属する「部屋」から派遣してもらっていた。各料亭は評判を取るため、腕のいい料理人に大金を積んで契約した。折しも、日露戦争戦勝にわく大大阪の時代。栄は勤め人の10倍もの給金を得ていた。

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