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【あの人も愛した 京ぎをん浜作】川端康成の筆による看板 三島由紀夫を連れて来店したことも (1/2ページ)

 日本人初のノーベル文学賞、川端康成はいつも1人で京ぎをん浜作に来店しては、カウンターの片隅で初代森川栄の包丁さばきをじっと見ていたという。祇園町には、川端が舞妓(まいこ)を何人か呼んでは、何をするわけでもなく数時間じっと凝視し、「ありがとうございました」とだけ言って返したという逸話が残る。あの射抜くような目は、初代の包丁に何を見たのか。

 当代森川裕之氏によると、川端は「細身の体に似合わず、コッテリしたもの、例えば、甘辛の鯛のあら炊き、鴨ロースの鍬(くわ)焼きなどがお好きな健啖家でした」とのこと。浜作には川端の筆による「美味延年」(おいしいものをいただくと、長生きする)というモットーが掲げられている。

 川端の筆といえば、浜作の看板もそう。ノーベル賞受賞からしばらくたったある日、当時の定宿から浜作に「至急大きな紙を持ってくるように」と電話があった。2代目森川武が部屋に駆けつけると、康成はすでに墨をすっていた。この時、一気に書いたのが、現在看板になっている「古都の味 日本の味 浜作」だ。筆を持った作家の気迫を前に、2代目は震えが止まらなかったという。古怪で大きなその書は、浜作の本質を端的にあらわす。

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