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【あの人も愛した 京ぎをん浜作】南座出演中の初代吉右衛門には、毎朝「特製スープ」を (1/2ページ)

 祇園町のど真ん中、富永町にあった浜作本店。その4軒隣にあった永楽屋は江戸時代から続くお茶屋で祇園町の取締役も務める地元の顔だった。永楽屋は浜作の贔屓(ひいき)になり、後に浜作2代目森川武と永楽屋の娘、洋子は結婚した。

 永楽屋は「頬冠りのなかに日本一の顔」と詠まれた初代中村鴈治郎の後援者でもあった。鴈治郎が出番前に浜作で食事を済ませて南座に出勤するときの富永町から劇場までの人だかりは語り草だ。松竹を創立した白井松次郎、大谷竹次郎兄弟が浜作に通い始め、歌舞伎俳優が常連になった。

 中でも初代中村吉右衛門は南座出演中は浜作の隣にあったお茶屋・吉つやの離れに泊まっていたこともあり、滞在中の料理は主に浜作が届けていた。健康志向の初代吉右衛門のために、吉つやの女将と播磨屋夫人が考案した野菜スープを浜作が作り、毎朝それを飲んで芝居に出るのだった。俳人だった初代吉右衛門は俳句の師匠である高浜虚子ともよく店を訪れた。店には「顔見世の楽屋入りまで清水に」という初代吉右衛門の句の横に娘婿の初代松本白鸚が描いた狸の絵が残る。浜作と大播磨の初代同士の交流は、当代でも受け継がれている。当代吉右衛門丈は、当代の三代目森川裕之氏が「一期一会」の精神で包丁を握る姿に「舞台に立っている私も共感を覚えずにはいられません」と語る。

 第1回直木賞受賞者で『愛染かつら』などベストセラー作家、川口松太郎はいつも大勢の女優を連れて訪れた。一時期は女優の花柳小菊と祇園町に住んでいたので、ご近所さんでもあった。実の親を知らずに育った川口は、養子に出されて包丁一本で身を立てた初代と意気投合した。最晩年まで店に通った姿を、当代は覚えている。「とても気持ちの純粋な、笑顔のすてきなおじいさんでした。みんなは先生をパパと呼んでいました。お越しになるといっぺんに店中が明るくなる、華のあるお方でした」。そしていつも「おい、坊や。頑張れよ」と握手して帰っていったという。

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